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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』


「帰ってきたウルトラマン」

今や当たり前のようにその名を呼んではいるが、冷静に考えればやっぱりその名はおかしい。
“帰ってきた”と呼称してはいるものの、実際にはそのウルトラマンはかつて活躍したウルトラマンとは全くの別人なのである。確かに一見似てはいるけれど、よく見ればカラーリングの境界線が二重ラインになっていたり、首や腿の配色バランスも違う。

“帰ってきたウルトラマン”は“ウルトラマン”とは別物なのだ。

たとえ同じ名で呼ばれようと、M78星雲“光の国”からやって来た事実が同じだろうと…

その“ウルトラマン”はかつての“ウルトラマン”ではない。

そう。明らかに違う。
これはかつてのそれではない。
たとえ姿形が似ていても、同じ名で呼ばれていても、これは明らかに以前のそれとは違う。


…ふぅ

ヤッベェ、スッゲー面白かった!!!

大まかな流れ自体はかつてのテレビ版とのそれに似ていると言えなくも無いのですが、中身は全くの別物と言ってイイんじゃないでしょうか。それどころか、もはやそこに流れている意味すらテレビ版とは別物なんじゃないかとすら感じました。

鬱アニメだと思って観に行ったら、スゲー燃えアニメになってんだもん!
あのクライマックスとか…泣いちまったよ…チクショー。


■“ヱヴァンゲリヲン”って変換面倒くさいです。

人と人とのコミュニケーションの物語が「エヴァンゲリオン」。

…という認識で…大丈夫よね?
ATフィールドは“心の壁”だとか、人類補完計画なんちゃらだとか、人が他者とどのように分かり合うか、分かり合えないのかを描く物語であると思ってイイんじゃないでしょうかね。てゆか、そう信じてこの十数年生きて来てるけど。

「エヴァ」に登場する人たちは大人も子どもも、互いを理解する事が不得手な人たちばかりです。親を好きになれない子ども、子どもとの触れ合い方が分からない大人、サウンドオンリーの板だけで会話する偉い人(え)。

正味の話、テレビシリーズ…というか、そのかつての劇場版も含めて、コミュニケーションの話とは言いながら、それは互いが分かり合う物語なのではなく、最後まで分かり合えないという物語になっていた気がします。

人と人は分かり合えない。
だから最後は人類補完計画で一つに溶け合うしかなかったし、女の子の首とか絞めちゃうんじゃないかなぁ…と。

しかし今回の「破」では、その部分に大きな変化が表われている気がしました。
確かにキャラクターは同じだし、相変わらずコミュニケーションが下手クソな人達ばかり集まっているのではありますが、ホンの少しずつ…かつてのあの頃よりも、互いが互いを理解しあう為の一歩を踏み出している…そんな気がするのです。

シンジもレイもアスカも、皆が皆、相手を理解しようと努力している気がする。
それはつまり、自分から相手に近付いて干渉するというコトです。

テレビシリーズでは寝ぼけてシンジの横に添い寝していただけのアスカが、今回は自分の意思によってシンジの隣に寝転がるとか。はたまた、かつてのアスカなら考えられないコトですが、“レイの為”に自ら三号機に乗ると言い出したりだとか。
大まかな現象自体はテレビシリーズと変わらないのかもしれないけれど、自分の意思によって動いているという点で、前とは全く意味が変わって来る。
アスカの中に明らかに、シンジやレイと分かりあいたいという想いがある、てーコトですよね。

また、今回最もその行動に変化が出ているのはレイ。
シンジとゲンドウの為に食事会を開こうと考えたり、テレビ版ではただ殴られるだけだったアスカの平手を受け止めたり。
明確に違います。明確に自分の意思によって他者に干渉しようとしているのです。
あの綾波さんがですよ…マジですか。ぽかぽか…ぽかぽかしたい…。

てな感じで、かつてのテレビシリーズよりもコミュニケーションに対して積極性が表われている「破」なのですが、映画のクライマックスはまさにそういう意味でのクライマックスだったんよ。

最強の使徒と名高いゼルエルたんに零号機ごと吸収されてしまった綾波さん。
それを助けんが為に初号機に乗り込んだシンジ君でしたが、すんでのトコロで電池切れ。

ここでエヴァが暴走してゼルエルたんを圧倒してムシャムシャ…というあのシーンが脳裏を過ぎります――が、初号機は暴走とは言えぬ形で、シンジの意思によって再覚醒する。

その後にゼルエルを圧倒するという展開こそ同じではありますが、テレビ版でシンジがLCLに溶けて自分が消えてしまったコトとは全く逆に、「綾波を助けたい」というシンジ自身の強い意思によってエヴァは動いた。

こっからはもう完全に燃えアニメです。前とは違う、シンジが人を助けたいと願う完全にヒーローと化しているコトに涙腺がヤベェ…。エヴァのくせに何かスゲー王道の燃えなんですけど、何これ!

ボロボロになりながら叫びながら綾波を助けようとするシンジ…。
「私が死んでも代わりはいるもの…」というあの台詞に対しても、はっきりと「違う!」と言ってくれるシンジが熱い。
昔は救えなかった綾波を、今のシンジなら救えるんです。
それは、かつての“誰とも分かり合えない”シンジではなくて、“分かり合おうとする”シンジだから。
だから綾波の言葉にはっきり「違う」と言えるし、綾波が救いを望まなかろうが救おうとする。

テレビシリーズを見ていた時には、ほんのちょっとしたコトで分かり合えそうな人たちの無理解にモヤモヤが溜まっていったりしました。とゆーか、そのモヤモヤこそがエヴァのアイデンティティの一つじゃん、ぐらいに思っていた。
それが今回の劇場版では、その十数年来溜まったモヤモヤを吹き飛ばすかのように、分かり合おうとする前向きな人たちの姿が描かれ、あの時救えなかった綾波さえも救ってしまっている!

これは泣いても仕方ないっだろ、マジで…。
ズゲーいいもん観させてもらった…うん。


■ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか…

以前のテレビシリーズが「分かり合えない人達の物語」だとすれば、今回の新劇場版は「分かり合おうとする人達の物語」なのだ…と上に書いてきました。
その差異の部分に時代性というか、“今”エヴァをもう一度やる意味があるのかなーって気もさせてくれました。

テレビシリーズの放映された95~96年というと、まさに世紀末で、どこか破滅的な空気があった…というのがボク個人の印象。ノストラダムスを信じていたかとかどうかは別にしても、それを引用したり応用したりの終局的な雰囲気の作品が多かったのも事実だったと思います。
まぁ現実に不況とか地下鉄サリン事件とか阪神淡路なんかの状況もありましたしね…。

そういう世紀末的、破滅的な空気がある中で作られた「エヴァンゲリオン」だから、“分かり合えない”まま最後まで向かっていったのかな、とも思うわけです。

しかし結局99年の7月は大したコトも起きず…。
大破滅的災害も世界大戦も火星人も攻めて来ないまま、21世紀にカンターは変わりました。
そこで起きたのは、NYのビルに飛行機が突っ込んだコトと、それに関連して行われた戦争。

結局人類を破滅に導くのは巨大隕石でも火星人でもなく人間なのです。
要するに人と人の無理解こそが原因なのだと、すこぶる当たり前の話に落ち着く。

だから、09年のエヴァは「分かり合おうとする人達の物語」に変わったんじゃないかなー…と、そんな風に感じるのですよ。
そういう願いがここには込められているのではないか…と。

とはいえパンフレットを読むと、制作側的にはそんな明確にテーマの改変を行ったという意識が存在する感じでも無い…ぽいんですよね…。元々は普通に総集編的な映画にしようと目論んでいたようですし…。

だから今後どういう形で物語が収束されていくかは…まだ全然予断を許さないンですよ、ええ!


■ゼルエルー!俺だー!結婚してくれー!!

いやぁー…

ゼルエルが… ゼルエルたんが更にパワーアップしていて萌えた。

何でも切り裂く手ぬぐいカッターは無くなったけれど、マントみたいの羽織っててカッコエかった。
さすがオレのゼルエルたんです(え)。

宇宙から落っこちてくるサハクィエルも、随分とデザイン変わったなぁ…とか思いながら観ていましたけれど、地上付近でテレビで見た事ある形へと変形するのにはキュンと来ました。なんて一粒で二度美味しいヤツなんだ、うむ。

とゆーコトで超絶楽しかったです、「破」。

冒頭の光から「ちょ、ウルトラマン!!」とツッコミが入り、
ミサトさんのケータイ着信音を聞いては「ウルトラマン!!」とツッコミを入れ、
ミサトさんの車を観ては「ウルトラマンや!」とツッコまざるを得ず、

とまあ、そんな映画でした(え)。

お前らどんだけウルトラ好きなんだよ…。


次回は「急」ならぬ「Q」。

“quicking”とも冠しているコトから「急」である事には違いないようですが…
もしかしたら使徒だけが出てエヴァが出ない、しかも映像はわざわざカラーフィルムで撮影したものをモノクロに変換、ナレーションは石坂浩二…そんな「Q」の可能性もあるんじゃなかろうか…(ちょ)。

いや、今回の遊びを見るには、無くは無い…無くは無いよ…。へへへ…。
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コメント

「Newtype」付録のマリさんのフィギュアが好き!?

こんばんは。好きなんだけどよくわからない世界で旧劇場版でなぜネルフが襲われシンジを除いて皆殺しにあったのか良くわからない。ミサトさんがシンジをヱヴァンゲリヲンのなかに押し込んで、「残念だけどデートの約束を守れそうにない・・・」と言ったあと、仰向けに倒れ、背中が真っ赤な血に染まっていた・・・というシーンが印象的でしたが、今回の劇場版シリーズでは、すべてのヒロインの生死、運命はどうなるのか心配です。TV版のエンディング曲のクラシックジャズスタンダードナンバーの「Fly me to the moon」は好きでしたが、今回の挿入歌「翼をください」はあまり評判がよくなかったような気がします。重なりますが、ヒロインたちの生死はどうなるのか、「次回もサービス、サービスゥッ!!」

◇コメントありがとうございます!◇

>m-ohgiさん
かつての劇場版は「テレビより分かり易い最終回ですよ?」みたいな触れ込みがされていて観に行ったら、全然そんなコトはなくまんまと置き去りにされたのが懐かしいです…。
だからこの新劇場版でも、いつ置き去りにされるかと常にヒヤヒヤだったりします。最後の最後まで破綻せずに成立するエヴァンゲリオンなんて…本当に存在するのだろうか…という。

どうせ全員死ぬんじゃねーかな…という不安がどうしても拭いきれないトラウマです…。

アスカは大切な人なんだ!

>鬱アニメだと思って観に行ったら、スゲー燃えアニメになってんだもん!
3号機が登場する時点で鬱展開になると覚悟していましたからね、
その分、良い意味で予想が裏切られたという気分ですね。
>どうせ全員死ぬんじゃねーかな…という不安がどうしても拭いきれないトラウマです…。
確かにそれはありますが……とりあえず、それはどこぞに置いといて。

アスカとレイがお互い認め合う関係になれそうなキャラになっているのが個人的には嬉しかったです。
ありがちなツンデレになったとか、クーデレになったとか言われようが、
あんなふたりを見ると自然ににやけてしまいます……我ながらキモチワルイですが……。

◇コメントありがとうございます!◇

>仮帯さん
テレビ版では三号機を経てのゼルエル戦以降ちょっとグダグダしているというか、どんどん鬱ラインにまっ逆さまって感じでしたよね。だから、『破』でシンジの意思によって初号機が覚醒した瞬間の、かつてとは全く違うんだ!という思いが伝わり、あれはやられました…あれは震えた。
でも「Q」でやっぱり鬱になる、そんな不安はかき消せない…でもそれがエヴァなんですよね…ふぅ。

アスカとレイがツンデレとクーデレになったんちゃう!
当時なかった概念を今になってハメこんでいるだけなんや!
次の十年後には「ぽかぽか」が概念として定着しているかもしれないじゃないか!(え)
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