
先週の話を見直していて…
プリキュアが復活してキュアローズガーデンに駆けつけるくだり。
あれ、戦隊だったら絶対あそこで名乗りが入るよなぁ…
…とか思ってしまいました。
いや、名乗ってたらカッコ好かったなぁと思って。
まぁ、そんな世間話で誤魔化しつつ(え)。
色々あって、やっと書く事が出来ました最終回レビュー。
いつも通り、やたら長いだけでタメにはなりません。
何日かに分けて読むとよいでしょう(え)。
オレが…オレ達がプリキュア5だ!
■「終わりじゃない!」ドリーム「絶対に終わらせない!」
命と命、思いと思いは終わる事無く受け継がれていくもの…。
でも、テレビ番組とはいつか終わるもの…(おい)。
フローラが館長に種を送った理由、それは一粒の種の中にある無限の可能性というモノを知って欲しかったから。生も死も隔絶した永遠を作り出そうとしていた館長に、命の可能性を知って貰いたかったから。
そんなに知って貰いたかったなら、何故一筆添えなかったのかがすこぶる疑問です…。
問:(種が三粒) 解答欄にその答えを書きなさい。フローラさんが作る試験問題は難解必至やで…。
しかし館長は聞き入れない。
花が咲いたら奪う、実がなったら奪う。自分が何かを生み出す必要は無いのだからと。
館長がそこまで言う人なら、もはやこれはコミュニケーションどうこうの問題では無いのですね。館長は館長で、自分の行っている事は正しいのだという信念を持って世界中の宝物をコレクトしているのです。
お前は正しくないと理屈でねじ伏せる事が出来ないのならば、互いが一歩ずつ引くか、もしくはどちらかが死ぬまで殺し合うしかない。
そしてフローラさんも館長も互いに引く気は無いのです…あぁ、だから世界から争いは無くならないのね。
珍獣達よりよほど役に立つでお馴染み、ボクらのメルポ。メルポは最終回でも大活躍でしたね。
館長に焼き払われたバラが司る命、その世界中の生きとし生けるモノ全ての思いがプリキュアに手紙となって届けられる。
ここで戦っているのはプリキュアだけではなく、その後ろには数え切れない全ての命が一緒に戦ってくれている。プリキュアの最終回って雰囲気を醸し出しますなぁ。
そうそう、去年はこういう展開が無かったからどうにもせせこましかったんだよー(毒)。
あと、個人的にはあまり意義を感じる事が出来なかった「プリキュア大都会に現る!」のエピソードがやっとここで活きてきたとゆーワケですね。
「555」は前年以上にサブキャラが出なくなっているシリーズなだけに、最終回での「生きとし生ける全ての力、オラに元気を分けてくれー!」みたいな描写がし辛いんですが、あの大都会の話が一つあるコトで、一般大衆がプリキュアの存在を知っているという“繋がり”が出来、やっとこさ何とかこういう最終回展開にも結び付けられる、というワケですねー。
あのよく分からなかった話にもちゃんと意義があったんですね。
よかったよかった。
ドリーム「私たちはこの種に託された思いを受け取ったの。
たくさんの思いがこの一粒の命に込められているの」
命が次の命へと受け継がれていくように、誰かの思いもまた誰かへと受け継がれていく。思いを誰かに伝えるという「手紙」は、「命」のコトを指し示していたのですね。
ドリーム「この種を育てる気持ちがあれば、フローラさんはあなたを受け入れたのに…
こんな争いしなくて済んだのに!」
あ、そうなんですか。全部館長の所為なんですか…。
夢原さん達の交渉拒否戦術とか、フローラさんのとてもとても分かり辛い手紙とか、そもそも館長には館長の正義があるから初めから相容れない存在だった…とか、そういうコトはカンケー無いんですかね…。
ま、まあ夢原さんが言うならきっとそうなんです…全部館長の所為なんです!そうだそうだ!
ここで館長の攻撃を押し返すドーナツ国王に笑ってもた。
ちょ、ドーナツ国王つえええ!
そんな国王達の力をも合わせて。
希望の赤いバラと、奇跡の青いバラ。
プリキュア・ミルキィローズ・フローラル・エクスプロージョン!
プリキュア最終回恒例の合体超必殺技は――触手…ですか。
なな、何か…迫力が微妙で口元が歪む…。
レインボーローズの進化系とはいえ、エネルギー波とかじゃなくて触手ってのが…最後の最後が触手…触手かぁ(しつこい)。
しかも触手がいきなり巨大な美女に変化!
え、超展開!? 凄い観念的なトコに持っていかれている気がしてしまったのですが…。ま、ビオランテの正体が女性というのは何ら問題無いワケですけども(そこ?)。
いくら種には無限の可能性があるとはいえ…この描写は飛んでないかと思っちゃいます…。あれは愛の具現? それとも優しさ? 母親? 命?
何というか、カタルシスがどうこうじゃなくて素直に怖いです…あんなデカいオバちゃんがいきなり目の前に出て来たら。
最後は愛で救ってあげたかったってコトなのかなぁ…ううむ。
館長「フローラ!あの時私が種を受け取っていれば、
私はキュアローズガーデンに受け入れられていたというのか!?」
フローラ「……」
シカト!!
ところどころ垣間見えるフローラさんの黒さが怖い…怖いよ…。
館長もフローラさんに出会わなければ、心奪われるコトもなく、女子中学生に滅せられるコトも無かっただろうになぁ…。
そうすれば、こんな争いしなくて済んだのに!あう!
でも館長は最後まで自分は間違っていないと叫んでいた。
館長はあくまで自分の仕事をしていただけなのかもしれないな…博物館の学芸員だし。
争いは何も生み出さないんだなぁ…うん(遠い目)。
館長を倒して落ち着いたところで、フローラさんが夢原のぞみを呼んだ理由が明かされます(やっぱり他の人を呼んだつもりはさらさら無かったのね)。
自分の代わりにキュアローズガーデンを守ってくれませんか、と。
え、ちょ。
このオバハンいきなり何てコトを言い出すんですか…。
キュアローズガーデン、命の庭の管理者になるというコト、それはいわば神様になれと言うようなもんです。
呼び出していきなりそんなモノになれとか何様ですか。あ、神様ですか。そうですか…。
あれだなー…。
確かに555での夢原さんは女子中学生の素養とは思いかねるほど、何でもかんでも言葉一つで解決しちゃうようなスーパーぷりが描かれて、軽く神格化していた感じがありましたが…ついにホントに神様ですかぁ…。
中学生どころか人間の域まで超えるとか…通りでオレは夢原さんに感情移入し難かったハズだ(え)。
だから逆に弱点だらけのレモンさんとかに走ってしまったんだなぁ…そういうコトやったんかぁ。
のぞみはキュアローズガーデンの管理者になるとは言わず、キュアローズガーデンを解放して皆に見せたいと願う。世界中をキュアローズガーデンにしたいのだと。
なるほど…確かに今回の問題の起因はキュアローズガーデンが他の世界と隔絶していた事にもありますからね。
どうしても争いの原因がフローラさんに戻って来る気がしてしまいますが、それはきっとボクの心が荒んでいるからそう思うだけです、ええ。
フローラは消えた。
悪の権化が消えて、これで真の平和g(ちょ)。
たとえフローラが消えても、その命の花は種となってまた芽吹き、花を咲かせる。
命はそうやって受け継がれていくもの。
エターナルのようなやり方ではなく、生と死の輪廻の中でも大事な物を守る事は出来る。命と思いを受け継いでいく事、それが答え。
どうやらその後はキュアローズガーデンも簡単に人々が往来出来ているようで。
宝物というのは人々の中で育んでいくモノ…てなコトをココも言っていましたので、これこそがキュアローズガーデンのあるべき姿なのかもしれません。
ただ、女子中学生が珍獣達と異世界で当たり前に交流しているってのが、まるで普通の日常のように描かれているのが何かオカシイ気がしてたまりません(え)。
まぁ、プリ5だから仕方ないけどな。
ナレーションベースで流されそうですが、メルポの正体はシロップの育てたバラだったそうです。だからバラの気持ちが分かるとか言うてたのかー。
実はメルポはフローラの分身で、息子的存在のシロップを案じてずっとそばにいた…とか邪推していたんだけどなぁ…。そっかぁ…。
ブンビーさんは自営業を始めたようです。
自分の理想とする組織のあり方があるブンビーさんには、やっぱりそういう方法しか残ってなかったですよね。
まさかカワリーノさん…的な人まで出してくれるとは、さすが最終回です。一瞬アラクネアさんとかも期待してしまった…。
あと完全に投げられている気がするんですが、初回でパルミエの戴冠式を襲って国王たちを散り散りにしたのはいったい誰だったんでしょうか。
たぶんキュアローズガーデンの扉を開かせないようにとアナコンディさん辺りがしたコトだとは思いますが…。
このぐらいは平成ライダー基礎スキルで補間せよというコトか(え)。
■希望の力と未来の光!今回は「GoGo!」の最終回であると同時に「プリ5」の最終回でもあるのですよねぇ。
とゆーコトで「Yes!プリキュア5GoGo!」の最終回と総括的な観点から、まずは書けるコトを書いてみよー。
とりあえず最終回の印象としては…結構あっさりしていた気がしました。
ボクも公平な価値観を持ち合わせているような人間ではないので、その印象も「MH」とか「S☆S」の最終回と比べると…という比較論になってしまうのですが。
でも全然悪い気はしなかったのですがね、ええ。
ではそのあっさり風味の理由とは何だったのか。
超必殺技を放つ時に一般大衆的な人たちが殆ど描かれていなかったから…?
超必殺技に番組タイトルが入って来なかったから…?
そもそもラスボスが学芸員とかショボくね、とか…?
ボクの中ではどれも当てはまる要素ではありますが…。
比較で語るのは野暮な事だとは承知の上で書かせてもらうとします。
最終回のカタルシス爆!とボクが思った「MH」や「S☆S」のカタルシス要因は…日常の中で触れ合った人々のイメージのインサートとでもいうのでしょうか…。
「MH」でプリキュアの後ろにずらーっと並ぶ人々のカットだとか、「S☆S」の家族や友人の顔が次々に出てくるカットだとか(もしかして最終回一つ前だったかも…)、あのシーンが目に入ってくるだけでパブロフの犬的に涙腺がぶわぁとなってまうのですよ、ボクは。
つまり他の人の事はどうか知らんけど(おい)、ボクのカタルシスセンサーはそういう部分に反応しやすいワケなのです。
だから今回の最終回で言えば、みんなから送られて来た手紙のくだりなどは結構好きなんです。ただ、その後の超必殺技に至る部分では国王達こそ力を合わせてはいるんですが、他の一般大衆的な人々、“木々も獣も全て合わせた全ての命”的な描写は特に無く、その場にいる人達だけで戦いに終止符をつけている感が強かった気がしたのです。
要するに「全ての命を守る」という割に、それに対する具体的な描写がちょっと弱かった気がして、あっさり風味に感じてしまったのかなぁ…と思う次第。まぁ去年の最終回よりはカタルシスありますけどね(おい)。
まぁねぇ…分かってるんですよ…。だって「プリ5」だもんね…(え)。
そもそも最終回で思い出すほど日常らしい日常とか描いてないのです。バトルに関係ない家族や友人、普通に暮らしている市井の人々との交流とかがやたら少n…てか殆ど無いし(あう)。
根がそういう作品なだけに、ボクの嗜好を求めても仕方の無いベクトルなんだよなぁ…とは分かってるんですよ、ええ。
それでも、まどかさんの話とかうららのお母さんの話が出た時は若干期待したものでしたがねぇ…。
てゆかね、この番組のメインモチーフが「手紙」で、うららのお母さんが既に亡くなっているという設定から、これは「亡き母から成長した娘への手紙」みたいな鉄板エピソードあるだろ!とか期待してたんですけどねえ。
「手紙は時間も越えて思いを伝えられるロプ」とか言ってまとめて…そんな泣き系の話もありだったのに、残念だなぁ…うむぅ。
まぁねぇ、コツコツと日常なんかを描いておけば最終回でそれがカタルシスへと昇華するとはいえ、結果“地味”とか呼ばれて二年目が消えた人を目の当たりにしていた夢原さん達ですから(え)。
プリ5はそんな地味に反旗を翻すように、毎回毎回の楽しさを描いていたんですよ…きっと。
そう、そもそものコンセプトが違ったんです…きっと。
さて、「GoGo!」というのは何の話だったのか…といえば、コレはやはりシロップの話であったと言えますよね。
自分が何者かも分からない、居場所も無かったシロップが、夢原のぞみという少女に出会い、居場所を獲得し、自分が何者であるかを掴み取るまでの物語。
自分が何者であるかを何一つ証明出来ないシロップを、ただ信じてくれた夢原さん。
徐々にメルポ以外の信じられる仲間が出来て、キュアローズガーデンには辿り着けないという不安も仲間と一緒なら何とかなる筈だと克服(そういえば、あのトラウマの原因って何だったんすかね…絶対に辿り着けないという強烈な過去なんか無かったような…要するにただの不安? はん、思春期めッ)。
ナッツハウスという帰る場所を見つけるコトも出来ました。
パルミエ時代に思っていた「どうしてシロップだけ飛べるのか」というアイデンティティに関する疑問も、キュアローズガーデンから命を届ける役目、シロップにしか出来ない役目があるからだと分かりました。
また、自分が何者かを探すというコトは、うららと同じように母親を求める旅であったとも言えます。
生物学的なコトは分かりませんが、生まれた時からずっとお世話をしてくれた母親であるフローラと再び出会えたコトは、シロップの自分探しが完結した事を意味している。
帰る場所、役割、母親。
シロップが失っていたアイデンティティを全て補完するまでの物語。
それが「Yes!プリキュア5GoGo!」という物語。
しかし二年目の「GoGo!」から加わった新要素は、シロップだけではありません。
そうです、「GoGo!」はミルキィローズの物語…でもあったような気がします(え)。
はっきり言って、そう自信を持っては言えません。
だって…シロップのような明確な成長があったワケでは無いし、そもそもミルクは一年目から出てるキャラなワケだし…。
「GoGo!」の話をローズを中心に見ていくと…
青いバラの花が咲いて…プリキュアのピンチに颯爽と登場してスコルプさんを肘撃ちで倒し…学校に転入し…正体がバレ…そこからしばらくは特に展開は無く…プリキュアは大事な仲間だと手紙を書いて新商品をゲットして…青いバラの使命感に焦るがドリームと協力してマーブルスクリューを放って…アナコンディさんと似ていると分かって…最後は超必殺技に混じりました…。
思い返してみると分かり易いですが、ローズはあまり動きのあったキャラではありませんでした。
コレだけ読むと、まるでプリキュアさん達と徐々に仲間になっていくアウトローキャラのようにも読めますが、所詮ヤツはミルクですから(え)。
去年、「プリキュアと一緒に輝きたいミルー!」と言ってドリームの腕にぴょこたんとくっ付いた瞬間に、プリキュアとミルクの絆は出来上がってしまっているのです。
完全な新キャラクターだったらまだしも、今更ミルクでまた徐々に仲良くなっていく構成とかされても困るんですよ(う)。
一応…種を送られても育てようとしなかった館長と、その種を大事に育てたミルクという、館長との対比関係に置かれていたキャラクターでありましたし、あとアナコンディさんとの対比関係もあったりと、割と重要なポジションに位置していた事は間違いない。
でも結局その重要性がどう発動したかというと…うぅむ。
最終回でも特に活躍らしい活躍は出来なかったですしねぇ…。
種を育てたのがプリキュアではなくミルクというのであれば、最終的に館長と対決出来るのはローズのはずなんですが…「プリキュア」という番組でメインを横に追いやるとかそんなコトが出来る筈も無く…。
ローズとプリキュアとで役割を殺し合ってしまっていたのかなぁ…。
だから結局は要らない子みたいな…まぁ、二年目キャラだしさ(ちょ)。
「GoGo!」、それは二年目。
二年目、それは勝者の証。
二年目、それは血を吐きながら続ける哀しいマラソン。
自分達の夢に向かって走る「プリキュア5」は、これまでのどのシリーズよりも「成長劇」という要素が強いシリーズでした。過去の自分と戦うというテーマの劇場版なんかも、その要素が表われています。
しかし一年目できっちりと成長劇として作ってしまった為、二年目の「GoGo!」に至ると成長の糊シロが殆ど使い切られてしまっているとゆー事態に陥ります。
大概、一年目でみんな成長してしまっているのです。唯一あまり成長していなかったレモンさんですら、二年目の中盤で余白が切れましたしねぇ…。
だからアレほど一年ごとにシリーズをリセットしろと訴えたのに…っく!
だってプリキュアで100話もやるような物語なんて無いでしょ?(おい)
同じく二年目のジレンマに陥った「MH」では(ちょ)、サブキャラクターやゲストキャラ達にスポットを当てて話数を稼ぐという戦略に出ました。
そして「GoGo!」はといえば…童話にクイズ番組に名探偵。
そっちね…そっちに行ったんですね…。増子さんの新聞部の話とか、各々の家族の話とかに舵を切らないのがやっぱり「プリ5」です。どんとこーい!
た、確かに、それらの話はこれまでのシリーズのフォーマットを崩す新鮮さがあり、名探偵やクイズ前半のエピソードなんて抱腹絶倒の話でした。
ただ、その一話一話は楽しいけど、どうしても個人的嗜好性からそっちのベクトルに舵を切られているコトに乗り切れなかったりもしました。
やれるコトはいっぱいあったんだと思います。それこそ、上述したうらら母の手紙の話とか新聞部の話。うらりん、うらかれ、まだやっていないコンビの話。てゆか、100話もやって五人の組み合わせすら、まだやり切ってないってどゆコト!?
どおりで未だにレモンが相関図で孤立する筈だ…て、もう番組終わっちゃってるのに。
二年目には二年目だからこその可能性がいっぱいあったんですけどねぇ…。
プリキュア5として二年目をやったコトの意義は…ちょっと薄いかも…。
ま、レモンx大塚隆史の神回とかもあったから、これはこれで嬉しい事なんですけどね(おや)。
二年目…二年目はやっぱ難しいんですね、うん。
■華麗に羽ばたく五つの心!「Yes!プリキュア5」
夢原のぞみが町の路地でココとぶつかって出会うトコロから始まる物語。
その二年間の結末に、この出会いを再び重ねてくれたのがとてもキレイです。
のぞみ「よーし、必ず素敵な花を咲かせてみせるぞー、ケッテーイ!」
夢を持っていなかった少女が、自分の夢に向かって決意をするトコロで終わる物語。
ここで皆の夢に対する努力が止め絵で流れて行きます。
うららはオーディションに受かったあの舞台に立っている。
一年目のOPで夢見ていた姿、かつて見た母親と同じ衣装を着てその舞台に立っている。
五人の中で唯一夢を叶えているからでしょうか、凄くキレイに片付いてますね、レモンさんの物語…。お母さんと同じ服だ、と思ったらちょっとウルッと来てしまった…。
「みんなの事を書くわ」と言っていたこまちが書いた小説「バラの園の仲間たち」。
バラってのは…薔薇ってコトでイイんですかね?(おい)
何てこった、こまちさんは本当に腐っていやがった!
実際の身の回りの人間でかけ算遊びをするだなんて…凄く、ディープです…。
この二年間のまとめを簡単に書こうかしらと思ったのですが…。
割と去年の最終回に書いた事とカブるんです…。
サブキャラが出なくて自分たちだけで話を作ってるとか。
大人が出てこないから子どもの世界で閉じているとか。
レモンのメイン回が一番少ない気がするとか(え)。
二年目ではその傾向が更に顕著になったような気がします。
レギュラーキャラだけは更に多くなったからなぁ…。
しかし、ついついボクはネガティブなコトばかり書いてしまうのですが、ちゃんと「プリ5」のポジティブ要素も示しておかないといかんですね、うんうん。
一人でも変身、及び必殺技が使えるようになって展開の幅は広くなった(気がする)。
メインキャラが増えたので、誰か一人ぐらいはお気に入りが出来易い。
カップリング遊びの要素を入れた事でファン層拡大。
“地味”からの打破(え)。
「S☆S」が商業的には期待値を下回ったという結果からか、次の「プリ5」では「S☆S」から必要以上に距離を取る戦略に走っていたような気がしないでもありません。
実際、「S☆S」らしさである“自然”とか“家族”とかは、かえって不自然なほど描かれていませんでしたしねぇ。そこまでせんでも…というぐらい「S☆S」とは非なるモノを目指していたような…。
「ウルトラマンネクサス」の後の「マックス」のように、しくじったと思ったら全く違う方向に振れるんですかね…。そこまでトラウマか…(ちょ)。
あと「ふたり」から「5」に人数が増えた事は、「比類なき友情」から「仲間」という同じ様でいて違うコンセプトに変化し、番組の方向性にも大きな変化を与える事になりました。
さらに、背景が欧風に変化して、これでは日常性が薄くなるのではなかろうかと思っていたら、ホントに描写が少なくなったり…。まぁ、それはつまり初めから狙っていたコトだったってコトなのかもですが…。
でもそのおかげで、「プリキュア」というモノの枠は「プリ5」によって大きく広げられたのだと思います。
これは後に続くプリキュア史の中でも大きな転換期であり、「プリ5」がそこに果たした意義はとても大きいのです。プリキュア5、歴史がその時動いたのです(え)。
逆境の中に開拓精神とボウケンスピリッツを持ってして、慣例を壊し、新たな大地を切り開く。
プリキュアを破壊する者――それがプリキュア5。
■受け継がれる魂フローラさんの言っていたように、命というのは受け継がれていくモノなのです。
そしてプリキュアもまた受け継がれていくのです。
とゆーことで、「フレッシュプリキュア!」もよろしくね!(ん)
予告を見たら背景の色身こそ少ないものの、あれは間違いなく日本の街並みじゃないですか…。
じゃ、じゃあちょっとだけ期待しちゃおうっかなー…えへ。
さて…
そろそろ閉めですね。
長いので誰もちゃんと読んでいない事は知っているが(うわ)。
「Yes!プリキュア5」S☆S信者的には、その求めるモノと作品との乖離によって
時に歯がゆかったり
時に眉をしかめる事もありました。
同時に
これまでにない展開に虚を衝かれたり
胸を躍らせたり
レモンさんの報われなさに口元をニヤつかせる事もありました。
色々とありましたが
「Yes!プリキュア5GoGo!」その番組とそこに携わった全ての人々
このブログに足を運んでくれた皆様に感謝です。
二年間、どうもありがとうございました。
⇒
プリキュア5 各話レビュー
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