■出会いは突然に――ウラ山で空を見上げていると、のび太のテストの答案が風に吹き上げられてしまい、それを探している内にのび太は木の赤ん坊を見つけます。
これがのび太とキー坊との出会い。
テストの答案は、つまり紙。紙の原料はパルプであり木。
木と木が互いに呼び合った結果としてのび太が呼び寄せられた…。
てーことでもイイんですが、それ以上に「紙」とは「神」であり、のび太がキー坊と出会う事は神に導かれた結果なのだ、と思うととても壮大。その出会いが結果的に地球の運命を変えるコトになるわけですし、これは地球意思による出会いだったのか、とも思えてきます。
緑の星のジィのように、地球にもそういう存在がいるのだと…
しかし、その出会いという現象以上に重要なのは、のび太がキー坊を持ち帰った事。
あぁ、この優しさが世界を救うのかぁ…と思ったらもう泣きそうになりました。なんという軟弱な涙腺!
このキー坊と出会ったウラ山の不法ゴミ捨て場。
手前のゴミ捨て場に対し、奥にはフェンスのドアが設置されていました。
前半、割としょっちゅう映っているのに誰も使用しないんですよね、そのドア。
とか思っていたら、中盤でやっとドアをくぐります。
それは緑の星の侵略兵器を発見する件。
つまり、あのドアは日常と非日常とを分ける扉。
あの扉の向こう側には我々の知らない「すこし不思議」な世界が広がっている。扉はいつも身近にあったのに、それまで誰も気付かなかった不思議な世界が。
パンフレットにも書いてありましたが、渡辺監督は「すこし不思議」な“SF”と同時に「すぐそばにある不思議」な“SF”を描きたかったそうで。
普段当たり前に暮らしている場所の隣に、実は不思議な世界への扉が存在しているのかもしれない…というそんなSFなんだなぁ。
よし、とりあえずウチの和室の畳を引っぺがして宇宙船と繋がっていないk(ry
■大いなる希望の力――全体的にはテーマの重さや説教臭さなど(ちょ)「雲の王国」に通じるモノがあるんですが…いや、それ以上に「ナウシカ」だし「ラピュタ」だと、相当数の人間が思ったことうけあいですわね。
それだけテーマが普遍性あるものだったと、そういうことなのだとも思います。
「キー坊」という名前が「木の坊や」という意味と「希望」のダブルミーニングになっているという事を、つい数ヶ月前にどちらかのブログ様で読んで気付きました。そういや映画のコピーにも「希望」てワードが入ってるじゃん、みたいな(遅っ)。
キー坊は希望。
地球にとっても緑の星にとっても、自分達の思惑における希望の存在となっていました。
しかし、その希望は刹那に絶望へと変わる。
以前遊んだ女の子の赤いジョーロ。
それを見つけ、哀しみや怒りが湧き上がるキー坊は伝説の緑の巨人へと変わる。それまでシラーが何をしても巨人には変わらなかったというのに、ふとしたきっかけ一つで…。
伝説の巨人を作動させる引き金は「絶望」。
そんなもので動き出すモノが誰かに希望を与える存在なワケもなく、伝説の巨人の正体とは、かつて星を醜く焼いた強大な力を持つ破壊兵器。
地球と緑の星が繋がって、緑の星の大木が地球に映し出された光景。
命を支え、守る、巨大な緑の樹の姿のはずなのに、それはまるで巨大なキノコ雲のようにしか見えませんでした。
ここは震えたなぁ…ドラえもんの映画でこういうギミックとか全然想像していませんでしたよ。いやー恐ろしい…。
巨木とキノコ雲…
希望と絶望の紙一重な危うさを一瞬で感じ取らせてくれます。正義って正しい事の筈なのに、どうしてみんな争うんだよ! というのび太の言葉。
初めは希望だったはずのモノがいつのまにか絶望を作り、その絶望からは再び希望が生まれ、そしてまた…と希望と絶望の連鎖は争う限り止むコトは無い。
血を吐きながら続ける、哀しいマラソンだよ…(え)。
■リーレがだんだん可愛くなるという罠――相変わらずゲスト声優陣の違和感が少ないです。
録音監督の手腕には毎年おそれいります。
来年はロップルがゲスト枠なのかなぁ…
リーレさん、登場した途端にキー坊に殴りかかるという暴挙です。てか、動きが昔のアメリカのアニメみたいで面白い。
何か、最初はイタズラ心で追いかけていたけど、それがいつのまにか友達になって…みたいなリーレさんとキー坊とのフラグが気になって仕方ないです。
地球人が頑張るより、キー坊がその人の横の椅子に座る方が地球にとっては手っ取り早い気がする。よし、ガンバレ、キー坊!(おい)
リーレは緑の星にある物は全て自分の物だという慢心を持つ。
それは青い星に住む人間と同じなのですよねぇ。
否、リーレだけではなく、あの傲慢で攻撃的な緑の星の人々こそが地球人の映し鏡だし、表層は美しくも内実は醜い遺産を抱え込んでいる緑の星は地球そのものなのですよね。
されるがままの化粧と衣装を着せられ、書かれている原稿をただ読むだけの女王。
植物系宇宙人の中央議会を束ねる長、しかし父母が亡くなって受け継いだだけの女王の資格に、リーレはまだ自覚など無い。
だけど映画の最後では、全ての命は他の命と繋がっているモノなのだという事を知り、両親から受け継いだモノを、これからも未来へ受け継いでゆくのだとリーレは決意出来る。
頭の蕾も花咲いて、女王としての成長が垣間見えます。
「リーレ」という名前は、「受け継いで次へ渡す」という「リレー」の意が込められているのかなぁ…なんてな。
■ジィはシイタケから取った名前――?この人が難しいんだぁ…
一回観ただけじゃよく分からなくって、買って来たコミック版で補完しようと思ったら微妙に筋が違うので補完出来ないという困難さよ…。
本人の言うとおりなら、ジィはあの緑の星そのモノだったワケですが…それは星の意思そのもの…神様とでも呼ぶべき存在なのでしょうか…。
かつて大きな争いで汚れてしまった大地を星は緑で覆った。
この映画は「さらばキー坊」がモチーフであると同時に、SF短編集「みどりの守り神」もモチーフとなっているようだので、この緑の意思は星を浄化する為、星を甦らせる為の作用だったのだと思います。
そして浄化する為に出来た森からは毒の瘴気が発せられ、人々はそれを腐k…あれ、おかしいな、どっかで聞いた事ある話だな、これ。
てか、「ナウシカ」より「みどり」の方が発表先んじてますから、安易にナウシカとか言っちゃダメだよー、と自分に言い聞かせる(え)。
結局…ラスト何が起こったのかが分からないんだよなぁ…。
あれは要するにジィの力ってことでいいのだろうか…いやぁ、あの辺の件は若干分かりづらいというか、難しくて困りますね。
どんだけオレにもう一度観させようとしているんだ、お前ら(え)
■君の歩く道――今回の映画で象徴的に扱われているアイテム、靴。
キー坊が初めて外へ出かける時、のび太からお下がりで貰った靴。
キー坊の水分補給の為、バケツ代わりとなった靴。
キー坊が計らずも取ってしまったリーレの靴。
リーレが議会で演説する時に履いていた高い靴。
靴というのは歩くために必要な物。
それは自らの足で歩けるという証になる物。
道を進むための物。
のび太から貰った靴で町中を悠々自適に疾走するキー坊の靴は、まさに“歩く為の物”という存在意義を果たしている。
しかし、靴を失いかけたリーレは、自分がどう進むべきかの指針を持ち合わせていなかったし、王女の権威を表すが為にシラーに履かされた底の高い靴は、もはや歩く為のモノではなかった。
それは自分の道をどう進むのか分からなくなっていたリーレを表しているように思えます。
いつも空ばかり飛んでいたのも、自分の道が分からない、道を進めないという意味が込められていたのやも知れないなぁ…ふむふむ。
最後は、議会で高下駄の歩けない靴を脱ぎ捨てたリーレ。
それはちゃんと自分の靴で道を歩く事が出来るようになったリーレの成長なんだなぁ。
■緑の星に花は無い――地球温暖化防止…緑を守ろう…などとよく聞くわけですが。
大局的に言えば、それは地球の為ではなくて、人間が存在出来る許容範囲の環境を維持しよう、という事に他ならないわけでね。
地球規模の話になると、化石燃料が枯渇したからって困るのは人間だけだし、大気中の二酸化炭素濃度が増えても、動植物は新たな姿形を得る事で生き残るでしょう。
元より、植物の生命力などは動物が敵う筈も無いですしね。枝一本折られてもビクともしない木々に対して、足の小指ぶつけてヒーヒー言っている人間が守ってあげるなんざーおこがましくも甚だしいと言えばそれまでです。
それは緑の星の人々が、地球の緑を救うと言ったコトも同じ。
植物は今の形とは違う姿をしているかもしれないけれど、そう易々とは滅びない。てか、二酸化炭素なんかよりも、大地を焼き払う兵器なんかの方がよっぽど地球にとって厳しい存在なのだと今回の映画でも言ってますしね。
キー坊は希望。
地球人と植物星人との架け橋になれる存在です。
クライマックスでキー坊を助ける為、共にバケツで水をやるのび太とリーレ。
地面に寝転がる三人の姿。
これだよぉ…これこそが希望の姿なんだよぉ。
キー坊が生み出した「希望」とは、伝説の巨人や太古の兵器や巨神兵(え)ではなく、両者が互いに手を取り合うという、この光景なんだよなぁ…。
まぁ、あそこの作画はちょっと遊び過ぎな気がしないでも無いけど(ぁぅ)。
それに、緑の星は地球人が植物を駆逐する天敵のように言いますが、ウラ山の麓では畑を均して人と緑が一緒に共存している姿がちゃんとある。
赤いジョーロの女の子もそうだけど、こういう部分が前半部にちゃんと置かれている為、クライマックスでのキー坊の演説が白々しくない、説教臭さ控えめに収まっているのだと思います。
さらに緑の星では、人間だけではなく動物その物を敵視してしまっている。
これを治めるのが植物でも動物でもないキノコの爺さんというのが、これまた象徴的なのですが…。
緑の星は植物の惑星と思いきや、そこには虫が、動物がちゃんと生きている。
仰々しく「植物との共存が大事だ」とか言うけれど、そんな人間の意志とか決意とかが生まれ出でる遥か古代から、虫や草や、動物や植物は互いに干渉し合って生きて来た。
そんなコトは言葉にする必要も無いぐらい、何億年も紡がれてきた当たり前の理なんだよなぁ…と思ってしまった。そうか、そうだよね、うんうん、そうだよねぇ…て。
最後、リーレだけでなく、緑の星の至る所で花が咲いていました。
花が美しいのは、動物の目を引いて自分達の生き残りの可能性を広げる為です。動物の力を利用して、より遠くの花と受粉してもらえるようにと。
花の美しさは、動物と植物が共に生きて来た証、それはまさに共存の象徴なのです。
まだ一度しか観ていないので確認していませんが、緑の星の人々には、果実を付けた人こそ居たけれど、花を付けた人は居なかったのではないかと思います。
居なかったという仮定で書かせて貰いますが、緑の星の人々は植物人ではあるけれど、動物との共存をせずに過ごしてきた為に花という物が必要無くなってしまった、という事になるのではないかと。
最後、緑の星で花が乱れ咲いたのは、地球人と…否、動物との共存の道を進むと決意した事が作用し、共存の象徴としての“花”が咲いたというコトなのではないかなと思われます。
これの確認の為にも、もう一度観るのは確定ですか…そうですか…
最後のお別れのシーン。
輝く星空を観て「ふたりはプリキュアS☆S」最終回を思い出してしまいました。
星の光は命の輝き。
星と星、命と命は互いに繋がっている星空の仲間たち――
この映画のテーマとも繋がっていたりして、S☆S観てて良かったなぁ~って。うんうん(え)。
■え~っと、ドラミいる――?別れのシーンで使用していましたが、大原のび太の必殺技は、お母さん声だと思います。
あれはちょっと…現役のママらしい卑怯なぐらい優しい声を出しますからね。「のび恐」「新魔界」DVDの特典絵本ナレーションでもそうだけど、もうあの声はのび太じゃなくて大原めぐみさんなんだもの! あの声は卑怯だよぉ…絶対そうだよぉ…なので今後も各映画に一回は入れてください(え)。
他に卑怯な所と言うと、「ぼくの生まれた日」のシーンが出てきたのは卑怯だったね。
ちょ、え、それ引用しちゃうの、ずるいッ! …て。
勿論、今回の映画だけでもあのシーンは充分に理解出来るパートだとは思うのですが、既にそっちの作品も観ている身としては、その名付けの意味という以上に色んなシーンがフラッシュバックしちゃうじゃん!
夏の日の風に揺れる大きな病院の樹、行列を成す蟻、マンガで地面を固めた植樹、ドラえもんに手を差し出すのび太、家族みんなで見たあの陽の光――
ダメだ、卑怯すぎる! 過去の面白い作品の力で後押しさせるだなんて…後押しさせるだなんて…バカヤロー、ハンカチじゃ足りねぇ、バスタオル持って来やがれー!(え)
ァゥゥゥ…
そういえば「カニvsエビ」が三年連続出演です。おめでとうごさいます。
魔美はさすがに今回は無かったのかしら? こちらはこちらで何とか頑張ってもらいたかったのですが。
てゆか、ドラミの必要性が!!
ポスターに名を連ねていただけに、後半どんな活躍をするのかと期待していたのですが…気付くとEDロール。え?
ちょ、ひみつ道具回収しに来ただけかよ!
それ、ドラミじゃなくてイージャンと思っていたのですが…
先日行ったイベントで渡辺監督のコメントを聞いて少し分かった気がしました。
誰にでも帰れる場所がある、それを大事にしたい…みたいなコトを監督が仰っておりました(うろ覚えかよ)。
そして、やっぱり誰もが帰る場所というのが「家族」。
日常描写、家族描写に定評のある渡辺監督らしい部分なのかもしれませんが、殆どゲスト的に出て来たに過ぎないドラミという存在も、それはドラえもんにとっての妹・家族であり、帰る場所なんだよ、というコトで登場したのではないかと。
もちろん野比家もドラえもんにとっては家族である事に違いないのですが、ドラえもんにとってはドラミや22世紀も忘れてはいけない帰る場所なのだとね。
まぁ、クライマックスでドラミが助けに来て、22世紀からドラミが来たってコトはまだ未来は決まっていないんだ! とかいう展開も期待しないでは無かったですが。
■ここまでちゃんと読んでいる方がいるとは思えない(爆)正直、ドラえもん映画でこんな難しいとは思っていませんでした。
まさかドラ映画で考察・邪推系レビュー書く羽目になるとは…レビューの箱書き書いたらトンでもなく長くなりそうで泣きそうになったけどね。なんとか短くなるように頑張っ…がんば…がんば…れませんでした、すいません…。
ドラ映画にしては珍しくイメージシーンも多かったし、テンポも若干ゆったりとした印象を感じましたね。
それでも端々でカットされたような部分の存在を感じましたので、オリジナルVerは相当長いんだろうなぁ…。
難しいっていうのは、クライマックスのいきなり展開もそうですけど、最終的に何をどうすれば良いのかってのが劇中で提示されていないのが原因な気がします。
誰かを倒すとか、何かを壊すとか、アレをあーしてこーしないと地球の危険が危ないんだ! みたいな具体的対策が示されていないので、何処へ向かっているのかが分からないのです。
だから、あのクライマックスもどうなるのかなぁ~と見ていると…気付いたら終わってた、みたいな印象だったりします。
ちゃんとゴールテープが張られていないもんだから、ゴールをくぐっても…妙にあっけない。
この辺りはコミック版の方が明確で分かり易かったんですが、筋が違うから結局映画で何が起きたのかは分からないしなぁ。
色んなインタビュー記事とか読んで、もっかい観るしかないのかな、うん。
商売上手だな(え)。
いや、でも難しいからこそ“見がい”がある映画でもありますけどね。
しかし、あれだな…予告編のピョンピョン跳ねるキー坊とか巨大な葉っぱとかドラ達が乗っていた飛行型巨大葉っぱとか…全部無かったな!
東京を侵食する緑も意外とカット数少なかったし、久しぶりに予告編に踊らされちまったぜ!
まぁ「踊る大捜査線」の予告編ほどではないが…。
で、来年はあの映画が!
タタミ…引っくり返しちゃうってか? うひゃほー。
あ、ちなみに来年は渡辺監督では無いそうです(本人談)。
クレムがどこまで可愛くなるか、楽しみでなりませんな。
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コメント
凄いです!!
5歳児と一緒だった為・・・
「なんのこっちゃ分からん」状態で(苦笑)
初めまして!!
匿名探偵と申します^^
この映画を観た方は
どんな印象だったのかと
ネットを巡っておりました^^
やっぱり難しいテーマですよね??
5歳児は最初の15分ほどで
落ち着きを無くしました^^;
一回観ただけ、と仰ってますが
素晴らしい記事です^^
こちらの記事を参考に!!
大人だけでもう一度観たいです♪
2008/03/27 17:20 by 匿名探偵 URL 編集
◇コメントありがとうございます!◇
はじめまして。書いた本人が読み返しても長すぎて疲れてくる記事へようこそ!(うわ)
ボクなんて大人一人で観に行きましたが、よく分かりませんでしたよ。
他の感想記事様でも、やはりクライマックスの説明の少なさは色々思う所があるようですね。個人的にはドラ映画のくせに難しいという事態に燃え立つモノがあったりもしましたが、チビッコ的にはキツイですよね…。
まぁ、時にはこういうカウンター的なドラ映画があってもイイかなぁとは思うので楽しかったわけですが。
もし、もう一度ご覧になる際はこの記事を参考にしないようにご覧頂いた方が良いかと思われます。
脳みそスカシカシパンで書いた記事ですから…。
2008/03/28 00:23 by TJ-type1@管理人 URL 編集
いえいえ~^^
思わず過去の映画の記事も
2つ読ませて頂きました^^
『ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~』と
『名探偵コナン 紺碧の棺(ジョリー・ロジャー)』
です♪
TJ-type1さんは文章だけではなく
絵もお上手なんですね~!!
そう言うお仕事の人ですか??(←真剣☆)
あ、ワタクシはコナンが大好きなんです^^
URLはワタクシのHPです♪
お暇な時にのぞいて下されば嬉しいです^^
昨年のコナンの映画の事も・・・
私ももっと蘭と園子がメインになると思ってました^^;
あの背中合わせのシーン・・・
もっと深く描いて欲しかったです><
ドラえもんは・・・
「~~新魔界大冒険」はホントどきどきハラハラ!!
中盤とラストに大号泣しましたよ~(T_T)
この前のTV放送もCMカットで録画♪
今年のドラえもんはもう一回行きたいです!!
もちろん♪TJ-type1さんの記事を参考に^^
2008/03/28 15:17 by 匿名探偵 URL 編集
◇コメントありがとうございます!◇
いや、こんな画力で金儲けしようだなんて思うほどボクは悪漢じゃないですよ(え)。
コナン…そういえばあの映画も予告編に踊らされた映画な気がします。普通に面白いとは思いますが、あの宣伝方法だと…もそっと…ねえ?
もっと言えば灰原さんをもっと活躍させてほしいです(そこかよ)。
「新魔界」のレビューは、一年前とはいえ勢いだけで書いているのが凄まじく恥ずかしいので、読んで頂くと胸が痛いです。クッ。
まとまりなんて皆無としか言いようが無い記事というか…まぁそれは一年経っても変わっていないんですが。
新魔界は名作ですよねぇ…ま、ボクは録画じゃなくてDVD買いましたけどねん!
でも、この前の放送もちゃんと見て泣きましたよ、我ながらイイ視聴者だなぁ。
2008/03/28 22:15 by TJ-type1@管理人 URL 編集
引用についてのお伺い
こちらの記事はドラえもん関連を中心に愛読させていただいておりますが、要所を的確につかんでいらっしゃるばかりか、一歩突っ込んだ分析もされていて本当に素晴らしいと感じております。
特にこの「巨人伝」の感想では、フェンスが隔てている世界への着目、花が象徴しているものなど、私の逆回転する頭では気づかなかったことばかりで、大変興味深く拝見させていただきました。
実は私も拙いながら映画の感想記事を書いておりまして、今回TJ-type1さまの表現を引用させていただきました。よろしければ使用状況に問題がないか、ご確認ください。
※TBを二重に送っておりましたら、片方は削除をお願いします。お手数をお掛けして申し訳ありません。
2008/03/31 23:22 by 春巻き URL 編集
◇コメントありがとうございます!!!!◇
ドラ関連中心にチェック頂いている方がいるとは…驚きと共に申し訳ない気がします。いつも軽い気持ちで毒吐いてスイマセン。
春巻きさんの記事も「そうっすよねぇ」と頷きながら読ませて頂きました。
所謂映画としてのカタルシス「達成感」がビミョーですよねぇ…。
ボクは映画見ていて、いきなり花畑になったのはイメージシーンだと思っていました。だからこの後に現実に戻って具体的説明があるんだろうな…と思ってたらリーレが議場でまとめの言葉を言い始めて「ええ!?」みたいな。今ので終わりなのかよ!て。
春巻きさんの記事の最後に「考えさせるのが狙いなら…」と書かれてありましたが、先日行った渡辺監督のイベントで「道具を使ってどっちが勝った、みたいな白黒はっきりつける映画にはしたくなかった…」的な事を仰っておりましたので、ある意味狙い通り踊らされているのかもしれませんね。(ええー)
引用等についてはむしろ光栄というか申し訳ないような気持ちです。あとでやっぱり要らね、と思ったら容赦なく消去して下さい。
TBですが、どうやらpingが上手く届いていないようです…。ウチは承認制では無いので届いたら即反映される筈ですので。
てか、こうしてコメント欄に記されているので別に問題無いかと思われますが、気になるようでしたらヒマな時に再度ご送信下さい。
意外に長文…やはり語りたくなる映画なのだろうか…
2008/04/01 01:21 by TJ-type1@管理人 URL 編集