
ガゼルがフツーに買い物していても誰も通報しない、そんな世界を作るのが激獣拳の…え、違う?
もはや外国人ですら一言も疑問符を尋ねない、何という心の広い、優しい理想郷なんだろう。
それとも、単にクリスマスではしゃいで気ぐるみを着ている人だと思っただけなのかしら。まぁ、そう思っていたとしても完全スルーするのは、やはり心が広いとしか言えませんけどね。
え~っと、カールさんでしたっけか?
クリスマスに母親を亡くして以来、辛い記憶を思い起こすが為にクリスマスを嫌いになってしまった少年。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。クリスマスだけでなく、そこに浮かれる人間全てに対して湧き上がるイライラ。
だったら街に出んと家の中に引っ込んでなさいってーの!
この時期クリスマスと触れ合わずに過ごすなんて、とうてい不可能なんですからね、もー。
というか… この子が外国人である意味が分かりません。
言葉が通じず、コミュニケーションが出来ない事によって、ケンが勘違いをしてカールと知り合う…というのは、まぁ分かります。
でも、最後はケンの思いを感じてカールが苦しみを乗り越えるという構図になっているわけで、つまりコミュニケーションが成立してこその展開です。
だけど、それだと最初のコミュニケーションがとれないとゆー件とすこぶる矛盾するんですよねぇ…。
ケンとカールは言葉が通じない、という前提条件があるのに、ケンは自分の母親が亡くなった事やその時激獣拳に救われた事などを、普通に日本語で話してしまっています…なのに、カールは理解してしまう…。
ん~…納得行かない…。
前向きに解釈するのであれば、カールは言葉ではないモノでケンの心を感じ取った! …的なコトなのかもしれませんが、正直ひいき目に見ても「押忍!」の威勢の良さしか伝わっていないように見える…。
つか…これ日本人の設定の方が良くね?
外国人である必要性は最初の勘違いの件だけだしぃ…。
そこさえ別の方法にしてしまえば、ケンの話を聞いて「押して忍ぶ」の心意気を理解する少年という展開がすんなり落ち着くし、コミュニケーションが成立した感動もあると思うんだけどなぁ…。
な~んか…「外国人の子どもの話やりましょう!」という発想ありきな気が凄くするんだけど…どうよ?
てゆか、ケンの家族の話を絡ませるのならば、ケンの親父と妹を何で使わないのかと疑問符。せっかくの石田コロンボ太郎だってーのに。この調子だともう二度と出ない気がしてならんよなぁ。
そっちの面子で素直に家族話やった方が、もっとほっこりしたイイ話になるような気がする。
あぁ、でもその場合はカール要らないね(うわ)。
あと…バトルとドラマとの有機性も無かった気がします。
完全に別個というか…そこで別に戦う意味は無いっていうか…まぁゲキレンでは時々ある事なんで今更ですけど。
サイダイオーの氷技もクリスマスだからってだけの技というか…空気中の水蒸気を凍らせるって…あーた、どこの死神ですか。
な~んかなぁ~…ゲキレンジャーは色々と活かし切れていない感が強いんだよなぁ。
そこもっと頑張れば良くなるんじゃね? みたいなコトを時d…いや、割としょっちゅう感じるんですよねぇ。
まぁ、おかげで凄くレビューは書き易くて助かってますけどね!
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スーパー戦隊 各話レビュー
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