
大きめサイズもあるぞなもし。「モモタロスの夏休み」は、よく出来たMADアニメでした。
え、違うの? 許諾得てるの?
なんか、軽い夢のような気持ちで観てました。違う、これは現実じゃない、こんな実験映像を商業のしかもファミリーピクチャーで公開するなんてコトありえない、そうだ、きっとこれは夢だ、夢に違いない、アハハハハハハハ〜…
グハッ! ほらねー、やっぱり夢だよー。
さあ、本編が始まるよー。アハハハー。
以下、ネタバレしか書いてありません。
いきなり宝石強盗のシーン、しかもいきなりウラタロス憑依。
見事に27話と連結している!
映画だけ観ると唐突な始まりにも感じるけど、テレビでその前の部分を追っているだけに何の違和感も無く、もっと言うと「テレビ」と「映画」という媒体を連結させている遊びをいきなり味わう事が出来て、ニヤッとしちゃいます。
映画を見終わった後、もっかい27話を視聴する事必至ですよ、これは。
こういうリアルタイムで「テレビ」と「映画」を同期させる遊びは、意外ともしかしたら今までに行われた事が無いかもしれない試みだので(あくまで管理人の経験値を前提だけど)、心行くまで味わいたいじゃないですか。
後世、DVDや再放送で観た人たちには絶対に味わえない感覚ですよ! ものすご期間限定やんけ!
ほらぁ、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」でラストに「to be continued」って出た瞬間に感じた「んぐはぁ!」みたいな感覚だってさぁ、当時劇場で観た人間にしか味わえない感覚だと思うんだよね。「PART3」まで半年間、ドキワクで待つ感覚はビデオやテレビで観た人間には絶対に分からないと思うんですよ。
そういう新しい試みとしての遊び、十二分に楽しみたいですよねぇ、うんうん。
まあ、偉そうに書いてるけどボクは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を劇場で観た事無いンだけどね。いや、ほらだって世代がさぁ… でも大丈夫、DVD-BOXは持ってるから!(だから?)
ただちょっと、テンポが早いというのか… 結構オミットされているカットがあるというか…
もそっとゆったり説明して欲しいなぁ…とか思ったんだけど、じゃあ何処をもそっと足してほしいんだというと… 簡単で良いからジークの説明とか、侑斗が過去の良太郎を連れて来る所とか… あれ? これ既にテレビでやっちゃてる部分ですね。
そう考えると、総合的には頭の中で納得出来るんですよねぇ…。
だけど一本の映画としてで言うと、やはりちょいと足りない感じです。
てことはアレかな、ディレクターズカット版にはテレビの方のカットとかを入れてくれると、すごく纏まりがよくなるのかもしれませんよ、こりゃ。
ただでさえ時間少ないから、テレビで説明した事はすっぱりカット! …てコトなのかなぁ。良太郎の誘拐シーンとか、侑斗側の視点から描くとどうなるのか、結構期待してたんだけどなぁ。
ほらぁ、「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」で「1」と同じパーティシーンを別の視点で…ってさっきからそればっかだな、オレ。
つまりまあ、そーゆー、同じコトが何度も繰り返し描かれるっていうのも時間モノの面白さだったりすると思うんだけどね。
良太郎が記憶を失ったから、イマジンとの関係もリセットされて実体化出来る様になった… え?
記憶を失ったら消えちゃう筈だったような…それはジークさんで実証済みだし。この辺の理屈は全然分からないんですが、ここは完全にスルーしてあげるところなのかなぁ。ここに拘ってると話も転がらないし、執着する部分でも無いとは思うんですが…何か流せなかったのよねぇ… 理屈にこだわる作品じゃないって理解してるんですが、終始気になってしまったオレの脳みそはまだまだですわ。
ジークさんも最初は「映画だけの新フォーム!」とか銘打たれていたのに初出はテレビだったし、映画での活躍が少ないのが泣けるでぇ。
ま、そりゃあテレビよりはウィングフォームも活躍はしていたけど、それまでは「あれ? なんでこの人いるんだろ…」ぐらいの感じです。緑の子はいらない子…(え?)
教養の差で変身し、恩返しという目的を果たしたジークですが、やっぱり何ともモノ足りなさを感じてしまう。一応テレビで既にジークとは終結してるわけではありますが、これで終わりでは何とも勿体無いので、もっかいテレビに遊びに来てほしいですなぁ。年始の挨拶とかで。
ゼロノスの残り回数券は映画も含まれるのか!? …がちょっとした気になる部分の人も多いようですが。
正味、三回以上は変身してたよね、あの子… んと〜… まぁ、仕方ないよね。全部が全部キレイには収まらんよ、そりゃあ。
…とか思ってたらちゃんとテレビで還元されていた!
なんという良心! ありがとう! そして、ごめん。
「覚えていれば時間は無くならない」毎日どこかで誰かが亡くなり誰かが生まれている事を考えると、たとえ同じような繰り返しの毎日であっても、誰かにとってそれはかけがえの無い特別な日なのです。何も無い日なんて一日だって存在しないのです。
そうやって脈々と日々を重ね、人は、もっと言えば生命はずっと繋がって来た。
だから、一日だって一秒だって、消していい時間も忘れていい時間も無いのか。
普段のテレビシリーズでは誰かの過去を救う話ですが、映画では良太郎自身の過去に繋がる。
幼い頃に両親を亡くした所為で両親の記憶が無い良太郎は、その反動で色んな事を記録に留めておきたいとカメラを持ち歩いているんだけど、雪の降る晩に病院から出てきた両親と幼い姉と、生まれたばかりの自分の姿を見つめる良太郎はカメラを構えないんですよね。
たとえ写真に残っていなくたって、覚えていればそれが無くなる事は無いから…
それを表すように、写真立てには良太郎の描いた絵が入っている…。
もうねー、この辺りウルウルが止まらないですよ。
窓越しに再会した両親の姿、ずっと記憶を探し続けた両親にやっと出会えた想いとか、無くした写真を取り戻すという以上の計らいを見せてくれるオーナーの心意気とか。
もうよく分からないけど涙腺がヤバかったのよ、それだけなのよ。
(´A⊂ ウウゥ…
覚えていれば時間はなくならない、ってのは「電王」の世界観を如実に表してくれる台詞ですね。
よくあるSF作品での「時間」といえば、宇宙その物をも取り込む絶対不可侵な存在であり、我々はその大いなる時間の流れの中に生きている。
しかし、「電王」世界の「時間」とは、我々の内側に存在するモノなのです。
誰かが覚えていればその時間は存在する。終始「記憶」と「時間」について語られてきた番組の根幹でもあります。「時間」とは「記憶」の事。
「記憶」と「記憶」が連なることで大いなる時間となって過去や未来へ繋がってゆく。
ただこれだと、宇宙を司る時間があまりに人間主体的に出来ています。
んじゃお前、人間のいない時間は存在しなかったのかと。
否、そうではなく、人間は人間だけで生きて来たわけではなく、全ての生命の繋がりの中で生きて来たのですから、人間だけでなく全ての生命の繋がりが時間を形作っているのでしょう。
生命と生命が繋がって、過去も今も未来もあるのだと。
…んじゃお前、生命の存在しなかった時間は存在しなかったのかと。
いや、それはほら、生命の源である有機物は元々無機物だったからして、結局無機物の時間も連結して… あーもうキリが無いわ、ホント。
生命の繋がりはあまりに壮大ですよ。よし、ジーンダイブだッ!
真田幸村とか必要かなぁ〜とかは思いましたけど、サービス精神のつまった映画でやんすよ、ええ。(あれは…元々歴史上の史実とストーリーを絡ませようなんて考えていたのかなぁ? そういうのはそういうので楽しいけど、チビッコ向けではハードル高いか…)
ミニ電王なんかもよもやの楽しさがありました。
恐竜時代とか西部開拓時代とかピラミッド建設だとか、特に意味は無いけど時間モノの楽しさを体現させてくれる素敵サービスですね。
恐竜のいた山が何となく日本ぽく見えたけど… きっと気のせいです。
広葉樹っぽいけど、あれは針葉樹なんです、きっとそうです。
ちょっとモノ足りない部分も感じたりはしましたが、劇場版らしくいつも出来ない事をやって、尚且つやっぱり「仮面ライダー電王」というドラマを裏切らない映画だったかと思います。
俺、誕生! それは誰にとっても特別で忘れられない日の思い出なのだよ… と、しめてみる。
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