■Future Worldアイワーンの協力によって惑星レインボーの石化は解け、サマーンでは機械に頼り過ぎないライフスタイルも浸透してきているという。
更に若者たちの間で流行る「キラヤバ」という言葉。マザーコンピューターが星奈ひかるさんの情報をインプットしたことで、その言葉も人々の間で広まったというのです。
いつか北極星になる女であるトコロの星奈さんは、知らないうちに遠い宇宙でムーブメントを既に起こしている。
プリキュアであるという事すら公開情報となっているララさんは母星で人気者になっているようですが、プリキュアというシリーズで俯瞰してみるとちょっと変わった立ち位置のキャラクターだったようにも思えますね。
主人公が出会う異世界人の相棒というと、自分の住んでいた世界が侵略されて命からがら逃げて来たお姫様などが定石ですが、ララさんの母星は平穏無事でしたし、フツーに平民でしたし、宇宙航行中にプルンスとフワを救出したと説明されているだけなんですよね。
主人公が初めて遭遇する未知の存在としてのスペシャリティを全く持ち合わせていないのです。
ドラえもんほど万能感を持ち合わせてもいないし、ウメボシ殿下のような王位継承者でもないし、さりとてQ太郎ほどトラブルメーカーでもない。
日常にやって来た非日常という存在でありつつ、宇宙から来たただの一般人という立ち位置は、この手のフォーマットでは稀有なケースではないでしょうかね。
プリキュアは「誰もがなり得る」というテーマ性があるので、異星人であるという以外はひたすら凡人足りえるララさんは、星奈さん以上にそのテーマ部部分を背負っている存在だったとも言えますかね。
「異星人だからといって特別ではない」というメッセージ性が乗っかっているようにも思えるし、それはシリーズ終盤で言う所の「誰もがみな宇宙人」というメッセージにも繋がるのかも。
突如、器パワーが復活したフワによって地球へと再訪したララ達は再会を喜び合う。再びプリキュアさんになったり、謎のプリキュア・キュアグレースさんと出会ったりと色々ありましたが、それはどうやら夢だった様子。
現実では、大人になった星奈さんが宇宙飛行士となって、宇宙へと旅立とうという日でした。
これは全てが夢だったのでしょうか…。春映画でグレースさんと会った際のリアクションが若干気にかかります。
モカに似たぬいぐるみがあったので、現実にグレースさんと遭遇したのではと思えなくも無いし、たまたま似ていたぬいぐるみでイマジネーションが広がっただけなのかもしれないし…
令和プリキュアは星奈さんのイマジネーションの中にしかいない、架空の存在なのだろうか…。
15年後の未来。
星奈さんは宇宙飛行士、天宮さんは通訳、香久矢さんは宇宙開発の官僚になっている。
惑星レインボーやノットレイダーの星も復興し、ララさんは調査員として星々を巡っている。
ごく個人の嗜好で言うと、最終回で数十年後を描くのは視聴者側のイマジネーションを縛る効果もあるので…と思ったりもするのですが、しかし作品としてはここを描かないとまとまらんとも思えて、ちょっと複雑。
そして、しれっと総理大臣になっていた香久矢パパさん。
15年後という事なら、本編の直後に政界入りしたってトコロなんでしょうかね。
このお父様は国家主義的な思想で、それは番組のテーマから見ると敵対関係・作中悪な存在なんですよね。
しかし、娘と対立した後にお父様が改心して個人主義を尊重するとか、何らかの和解を経たという描写があるワケでもないのです。ないのだけれど、お父様はお父様で大成していると描かれている。
父と娘のイデオロギーに違いこそあれど、どちらかが正しいとか間違っているとか決めるのではなく、互いに信じる道を進めばいい。
分かり合えなくても、尊重することは出来るのです。
しれっとではあるけれど、番組のテーマが如実に出ている部分ではないかなと感じます。
多様性ある社会を維持するということは、必ずしも両者が分かり合う事ではありませんで。ただ、せめてお互いの事を知っておこうよ…と番組ではずっと描いてきた。違いを埋める事が出来なくとも、せめて相手を知る事を諦めてはいけないのだと。
国家主義的思想はこの番組テーマ的には添わないモノではあるのだけれど、テーマに沿わない人もまたいる(そういう人が活躍する場がある)という多様性を内包することで、真にテーマを体現せしめていると感じられるのです。
また会いたいと星に願う皆々。
想いが重なる中、遂に宇宙へと飛び出した星奈さんが見たのは――。
第1話でノートの星座から飛び出してきたフワが、最終話では本物の宇宙から飛び出してくる。
紙の上で想像していたモノが現実となる。
それは頭で想像していただけの少女が未来で夢を叶えるというストーリーでもあるし、紙に描いたイマジネーションが現実に変わるという創作論でもある。
キュアグレースさんが今話では夢の中にしか登場しないのも、今はまだイマジネーションの中にしかいない新プリキュアだけど、未来(来週)では現実に変わっているというテーマの体現を仕込んでいる…のかもしれない。
■STAR☆Twincle Precure正真正銘、最後の平成プリキュアが完結と相成りました。
平成最後とは書きつつ、実際には15周年作の「Hugっと」を受けての新章の始まりに位置付けられていたのではないかなとも感じます。
タイトルが、語感の良い「トゥインクルスター」ではなく「スター☆トゥインクル」とテレコになっているのも、せっかくだから「START」を冠に付けたかったのではないかと勘ぐっておる。
初代から言っている「心の宇宙」を起点にしつつ、SFとしての宇宙モノも描いているので、ボク個人としてはとても肌に合う作風でした。
縦軸バリバリなモノよりも、若干ゆるい構成の方が好きだというのもありますし、何度も書いていますが「21エモン」や「モジャ公」を彷彿とさせる惑星探索回がとにかく好い。
1話完結でユーモアを入れつつシニカルなSF。
その藤子・F・不二雄テイストがあまりにツボで、わしのために作ってくれたのかと思うぐらいには趣味の一致を感じました。ありがてえありがてえ。
別の星に出向くという設定のおかげでシチュエーションを活かしてのテーマが描きやすいのか、色々と可能性が見て取れたのも好きでした。プリキュアさんはどうしても日常的な話が多いけれど、今作だとやや俯瞰した風刺的なテーマを描き易くなっていたかなぁと感じます。これから毎シリーズ宇宙へ行ってくれないだろうか…くれないだろうなぁ。
ここで描かれる「宇宙」は、「社会」と個人の「心」を意味しているのは勿論として、イマジネーションという言葉通りの「創作」世界をも意味しているように感じます。
メタ好きおじさんとして前回も書いてますが、「蛇遣い座etc.プリンセスが作り出した宇宙」とは「白蛇伝から始まる東映アニメーションの世界」と見る事が出来ます。
オリジナルである蛇遣いさんが他の存在を借り物でしかないと称するのに対し、始めは借り物でも育っていく中でオリジナリティが生まれてくるのだとプリキュアさん達は返していた。
それは人の心は常に外部の影響を受けて変化していくというコトでもあるし、「創作物」と「現実」の関係性のようでもあるのではなかろうか。
星空界というあえて架空の別宇宙を設定させたのは、そこが視聴者の居る現実世界とは別の、フィクションの宇宙・創作物世界を意味していて、その二つの世界が相互に影響を与え合うコトを描いていると受け取る事が出来る。
その二つの世界を行き来する事が出来るのがプリキュアという存在で、プリキュアさんはフィクションではあるけれど、現実世界でプリキュアの精神を実現化することは出来る。
そしてそれこそが最終回での星奈ひかるの姿なのであると。
プリキュアをフィクションから現実に。
まずは筋力から始めましょう…。
てなわけで、好きなモノがありがたくもたくさん詰まっているシリーズでありました。
平成プリキュアよ、永遠に。
ありがとうございました。
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