■どんな時でもOPはあるでお馴染みのプリキュアさんで、OPが消滅するほど不穏な始まりを見せる今回。
話の内容を鑑みると、歌が消えてしまった世界を表しているようにも思える。尺の問題だとは思いますが…。
蛇遣いさんと共に消滅してしまったフワ。しかし、フワに消えてほしくないという想いが混じったコトで、蛇遣いさんの消滅は遂行されなかったとのこと。作戦失敗なのです。
つまり、みんなの想いが共有されるお願い事でなければ上手くはいかないというコトです。プリンセスと謎生物を消滅させようという物騒なお願いは端から女子中学生には難しいわけです。
まぁプリンセスの皆さんは創造主なので、そういった人間の心が分からないので仕方ないのですが…。
蛇遣いさんは宇宙に闇を拡散し、全て飲みこんで無へと帰してしまう。平成生まれのモノだけを選抜したりはしません。全ての命を吸い込んでしまうのです。
宇宙が消滅した闇の中、諦めかけた所でかつて描いたフワの星座が目に入ります。
ノートに描かれた自分だけの星座、それは自分の心の中にある宇宙です。宇宙は消滅したかもしれないけれど、心の中の宇宙はまだ消されていないのです。宇宙はまだ生きている。
初代シリーズで語られ、その後も幾度となく語られるコトになる「心の中の宇宙は誰からも自由」であるというテーマ。いや、宇宙をテーマにしているからこそ、その言葉に回帰するのは必然オブ必然でしかないのでしょう。
歌を唄い、イマジネーションとプリキュアが復活。
いつぞやの記事でも書きましたが、「歌」は個人の個性と同時に、共同体での一体感も同時に尊重されるツールになっている。
宇宙は多くの星があるから宇宙なのであって、一つの星では宇宙足りえない。また、その星々が別々の姿を持っているからこそ、宇宙は無限の可能性を有せる。
心の中の宇宙は実在の宇宙と同等の広大さと可能性を秘めている。外の世界を知ることで、自分の中の宇宙もまた可能性が広がる。だから外の世界をもっと知って、歌えばよい。
歌は宇宙(マクロス感)。
イマジネーションは元々プリンセスが与えたモノ。
であれば、人々の持つイマジネーションは所詮借り物、まがい物でしかないではないかと蛇遣いさん。
宇宙と蛇遣いさんの関係が、東映アニメーションと「白蛇伝」の関係性に思えているボクからすると、この言葉は創作論のように聞こえてしまう。
「今お前たちが作っているモノは、昔誰かが作ったモノのコピーでしかない。価値など無い」のだという原理主義的なご意見。
蛇遣いさんは二次創作絶対認めないウーマンなのだ。
対して、初めは誰かのモノでも自分の中で育てていくことでオリジナルになるのだと返すプリキュアさん達。
それはプリキュア的テーマでは、人から人へ愛情が伝播して波及する事を意味しているのではあるけれど、やはり創作論としても聞こえてくる。そして、一度自分自身のイマジネーションとなってしまえば、それを誰かに奪われる事は無い。自分の中の宇宙になる。
一人一人が勝手なイマジネーションを持つ事、それは独善的でもある。だから蛇遣いさんは宇宙を美しくあるために淘汰しようとしている。
それぞれが勝手な事を考えるのではなく同じ方向を向く事、言わば全体主義に美しさを求めている。
一方で、それぞれがバラバラだからこそ面白くて美しいのだと星奈さんは言う。
夜空の星は整列されていないし輝きも様々だけど、だからこそ美しいではないかと。星空は美しいという誰もが共有し得る事象でもって語る。
人の心はバラバラであるはずなのに、同じモノを見て同じ事を感じる時もある。他者と違う事も、同じ事も、どちらも尊い事である。
プリキュアさんは蛇遣いさんを消すのではなく、闇だけを消して一件落着とする。多くの人間の想いを重ねるとなれば、上述の物騒なお願いよりも、このぐらい温厚なお願いの方が重ねやすい。
願う事が現実になるトゥインクルイマジネーションの力を用いれば、パレスの機能に戻ってしまったフワを再び具現化できるのではと考える星奈さんですが、それは同時にプリキュアの力を失う事でもある。
プリキュアになれなくなれば、宇宙にも行けない。まぁプリキュアは宇宙空間に行くための装置ではありませんが。
プリキュアは未来の自分を思い描いた姿であり、それを失うと言う事は未来がどうなるのか分からなくなるという事。でもそれは、今話で描いていたように、またイマジネーションから湧いて出てくるモノでもある。
だから力を使い切っても、「今度は自分の力で宇宙へ行く」とすぐに新しい未来が見えている。
ウルトラマンマックスの最終回が思い起こされる約束。
未来で再開する約束をして、星奈さん達は地球へと帰還する。
心の宇宙というテーマを描いて、フワも復活して、いい最終回でしたね…。
■え…この最終回の後にまだもう1話あるんです?
ありがてえな…。
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