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2019年 12月 01日
春の映画やTVシリーズで幾度となく宇宙へと旅立っているスター☆トゥインクルプリキュアの皆様方ですが、秋の映画では沖縄を筆頭に世界各地のミステリースポットへと出向いてまいりました。
さすが劇場版、いつもより近場のようでいてロケ予算が潤沢です。


星奈さんとララさんが遭遇したのは謎の宇宙生物、名付けてUMA。
UMAは宇宙において希少とされる星に成る生物(?)であり、優しく育てれば穏やかな星になり、悪意を注げば過酷な環境の星になるといいます。
どのような星になるかは育て方、環境次第なのです。

UMAにはどんな星にでもなれる可能性があるけれど、それはUMAを育てる保護者の行いや内面が鏡写しにされた姿でもあります。親を真似して育つ子どもの如く…。

同時にUMAは、この世界や社会そのモノでもあります。
この世界は善意を与えれば善意として還って来て、悪意を与えれば悪意もまた還って来る、自分の行いが反射して拡散している世界なのです。善意も悪意も、指先一つで拡散できてしまう時代です。

UMAにどんな星になってほしいのかという願いは、この世界がどうなってほしいのかと願う事であり、自分がどうなりたいのかと願う事でもある。

プリキュアという番組の特性上、親子の話が前面にありはすれど、
その実、老若男女問わず「自分がどんな人でありたいのか?」と問われているのです。
指先一つで拡散できる世界だからこそ。


今回の映画はひとしきりのバトルが終わった後に本当のクライマックスが訪れます。
バトルではなく歌によってクライマックスを盛り上げるのです。

それだけ書くと歌番組と化していた「春のカーニバル」味がありますが、今回は劇映画としての構成に落とし込まれた歌唱クライマックスとなっておりました。布石を着々と敷いた上で歌に至る為、それはドラマとして昇華されるのでした。
てっきりED曲だと思っていたので、まさか最も重要なクライマックスシーンがテレビで毎週流されていたとは思いもよらず驚きましたよ。

何故…アクションが売りのシリーズで歌クライマックスなのだろうか…と、見ながら不思議だなぁと考えていました。
しかし、そうか…この娘達は変身する度に毎回歌っているではないかと気付くと、「スター☆トゥインクルプリキュア」というシリーズにおいて“歌”は僕が思っていた以上に重要なアイテムだったのだと分からされます。

星奈さん達が変身する際に唄っている歌は、同じ曲でありつつ個々に違うアレンジになっていて、彼女たちの持っているそれぞれの個性を表したものになっています。
また、五人別々の歌が一つに合わさる事によって、それはまた別の新たな曲という個性が生まれます。

歌というのは、同じ曲でも唄う人によって違った姿を見せるモノでありつつ、複数の声や音が合わさる事によっても違う姿を表します。

つまり「歌」は、「個人である事」と「共同体である事」と、どちらも否定せず、双方の良さを見せる事が出来る表現手法であるのです。

一人一人の描く未来と、共同体としての目指す世界と、双方は相反する対立関係にあるのではなく、互いの尊重が可能だという理想が「歌」う変身バンクの中に込められている。

そこにはちゃんとテーマに準じた意味付けがあるワケです。
歌いながら変身するのって面白いよねー…ぐらいのノリでは無いのです!(そう思ってた)


宇宙プリキュアと称されるだけに(称されて無い)春は宇宙へ飛び出しましたが、今作では無限の可能性を秘めた宇宙は自分の中にこそ存在していると、よりテーマが如実に語られている印象でした。
テレビシリーズが終盤の時期だからこそ、秋映画は核心に迫り易いのであるなぁと。
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