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2019年 06月 04日
アナザーカブト後編は、巨大な隕石が迫って危険が危ない所から始まります。
アナザーカブトとなった矢車は、隕石で地上が破壊され、ワームだらけになっても影山さえいれば良いのだと破滅願望ここに極まるという雰囲気。
ワームとなった弟を何としてでも守り抜こうとするその姿は、「カブト」本編での天道総司の姿とダブります。

しかし、矢車は弟さえいれば世界が滅亡しても構わないと言う。
ここが、妹と妹の居る世界をどちらも守ろうとした天道との違いであると言えます。
矢車はどちらかというと、ひよりさえいれば世界は要らないと考えたダークカブトに近かったワケです。まぁあれも要するにアナザーカブトなのですが。

戦いの神・ガタックといえどアナザーカブトには敵わない。というか、そもそもカブトにしか倒せないように出来ているので加賀美の実力云々ではありませんが。
加賀美はカブトゼクターに認められ、カブトに変身。「カブト」1話でカブトゼクターに認められなかった加賀美が、遂にここで認められた…という事になります。

さて…問題のシーンです。

原典を思い返すと、加賀美は確かに天道の背中を追いかけ、カブトになりたかった男として描かれていたのではありますが、そのドラマ自体は22話ガタック誕生編で昇華しているわけです。
「俺は俺にしかなれない」は加賀美のドラマの到達点ですし、「カブト」における数少ない熱い話(ぉぃ)なので、実に印象深いし大事なお話なのです。

といったように…「カブト」の続編エピソードとして見てしまうと、今回の展開は「カブトになりたかった加賀美」について解釈違いが起きてしまいます。
この辺が「ディケイド」リ・イマジ世界とは違う弊害というか、どうしても蛇足になって見える可能性があります。

ただ…。

勘違いしてはいけないのです。

これは「『カブト』の続編」ではなく、「ジオウ」という番組にカブトが出てくるだけの話なのです。
つまり、今回描くべきは「ジオウ」のテーマやドラマであって、「カブト」のそれではありません。もっとはっきり書くなら、「ジオウ」のテーマのために「カブト」を利用しているだけなのです。
自戒も込めて、そこを勘違いしてはいけない。

といった視点で見れば、これは響鬼編と同じく、自分の夢を叶える男の話です。それは王様になりたいソウゴにとって理想の未来でもある。
夢を叶えたライダー達から背中を押され、ソウゴは王様になろうと進む。

でまた、白倉さん曰く「『ディケイド』は平成ライダーを続けさせる為の番組」であり、「『ジオウ』は平成ライダーを終わらせる為の番組」であるとのことです。
その言葉を通すと、主に最近の話は歴代の平成ライダー達が叶えられずにいた夢が「ジオウ」劇中で叶えられている話なのだとも思えてきます。ジョーカーから解放された剣崎と始、響鬼になった京介、カブトになった加賀美…。

それは上述のように、原典視点で見ると蛇足でもあるのですが、完膚なきまでに平成ライダーを「終わらせる」作業になっているように見えます。

極端な話、この「ジオウ」作中で門矢士が自分の世界を発見して旅を終えてしまう可能性すらあるのです。というか、考え出すとかなりありそう…。
「ディケイド」31話(テレビ最終回)がループ展開になっているのは、「平成ライダーを終わらせない」というテーマの象徴にもなっていると思うのですが、であれば逆に、「ジオウ」で旅が終わってしまう可能性は大いにある。
むしろディケイドの旅の終わりこそ、まさしく「平成ライダーの終わり」そのものなのです。もし本当にそんな展開があったら、これ以上ないぐらい「終わり」を感じさせる出来事になるのではないでしょうか…。

ただ、それはそれで僕個人の中でディケイドに対する解釈違いが発生してしまうのですがね…。

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TAGS : ジオウ
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