■Étoileハリーさんのお店が遂に営業開始となる中において、インテリアの助言を輝木さんに仰ぎました。すると、謎コンセプトだったお店は途端に誰もが入り易い空間へと変貌を遂げたのでした。
輝木さんがキュアスタなる写真投稿SNSにアップしたコトもあってか、お店は繁盛。今年も無許可営業でガッチリ稼ぐ模様です。
前作もプリ5も、自営業の宣伝は大事やなぁという経緯を経ていたりしていましたが、今年は初っ端から繁盛していてチョロイもんです。
元フィギュア選手の有名人を広告媒体として活用しようと誘った甲斐がありますね(ぇ)。
頑張っている人に更に「ガンバレ」と言うのは酷。
前回、ジャンプに失敗した輝木さんへのエールは当人にとっては辛いモノであったろうと。
「応援」というモノはキュアエールでもある野乃さんにとって、キャラクターのアイデンティティみたいなモンなわけで、それが5話にして限界を突きつけられてしまっている。どないしたら…。
野乃さんの中でも色んな想いは渦巻くものの、それでも野乃さんは「フレフレ」しか言えなかった。そこに自分の不甲斐なさ、子どもぽさが表れてしまったと自己評価する野乃さん。
野乃さんは輝木さんのような格好いい大人っぽい人に憧れを抱いている。
他方、輝木さんは転んでもすぐ立ち上がる、子ども頃の自分のような野乃さんに憧れを抱いている。
互いに「相手の様になりたい」と思っているのだけれど、それぞれの理由は「大人みたいだから」「子どもみたいだから」と違いがある。
ということで、野乃さんは「子ども」、薬師寺さん輝木さんは「大人」というモチーフを担っている。
これ、プリキュアになった際のデザイン性にもそこは表れている印象なのですが、変身前後でかなり印象が違うアンジュ・エトワールは「大人」で、印象の差異が少ないエールは「子ども」らしさをテーマに持っているってーコトなのではないでしょうかね。
アンジュ・エトワールは子どもの頃に持っていたモノを失う、あるいは変化した姿を表していて、エールさんは子どもの頃と変わらぬモノを抱いたまま成長した姿。それらがあのデザイン性に表れているのではなかろうか…と。
てことは、「子どもっぽさ」「大人っぽさ」の対立の中で「いや、両方必要なんだよ」という、いつもの結論に導いていくってコトなのかしら…。
輝木さんとの語らいの中で、薬師寺さんは再び「私に出来ない事があなたに出来る(以下略)」とマザーテレサの言葉を用い、野乃さんは「なりたい自分がある」と語る。
どちらも「自分」というモノを認識した言葉。前シリーズ的な言葉で言えば、それは「個性」なのかもしれない。
失敗し、もはや自分に明日は来ないという絶望の中に落とされてしまった輝木さん。
怖い。けれど、また跳びたいし輝きたい。それもまた自分の中の本心。
輝木さんは自分の未来から逃げたくないと再び跳び、キュアエトワールさんと成る。
自分の力を認め、信じる事によって、再び跳ぶことが出来た。
「あなたに出来ないコトが私には出来る」とは自分に出来る事を認める事で、「なりたい自分」というのは自分の未来を信じるコト。
前シリーズでも、「個性」とは自分を認めてあげるコト・自分を信じるコトだと語られていました。
今シリーズでも引き続き、「自分を認める・信じる」というコトがとても大事なのだと描かれている。
自分の絶望は自分で倒すと息巻くエトワールさんに、協力しますぜと桃青。
無理せんでも三人で一緒にやりましょうやと。三人寄れば、もっと高く跳べるんやと。
一人で居ては跳べなかったろうけども、三人居たおかげで跳ぶことが出来た。主題歌演出も相まって、「あー、最終回」みたいな満足感が生まれてきます。
■ほまれたかく輝木さんの決意の一歩は自分を信じるコトでした。
頑張っている者への応援は酷である…件に関しては、まだ引き続きテーマとして残されている。まぁよく考えたら5話で回収するテーマじゃないですよ、そりゃそうよ。
そんなこんなで3人が揃い踏みと相成りました。
次回はお仕事体験みたいなお話のようですが、どういうコトでそうなるのか気にかかります。レギュラー回のフォーマットは次回以降でやっと分かるのかなぁ。
⇒
プリキュア 各話レビュー
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