2017年 09月 09日
難病の少女を主軸に、ゲームと現実の中で少女の笑顔を取り戻すべく戦う医者達の物語。

難病で余命幾ばくも無いとされる少女・まどかを救う為、父親は娘と大勢の人間をバグスターウイルスに感染させ、ゲームの世界で娘が生きられるようにしようとしていた。
そして、その計画を利用して復活する仮面ライダークロニクルのラスボス、ゲムデウス。

ゲーム世界に閉じこもろうとする少女と、現実世界で笑顔を手に入れさせようとする医者との闘い。
エグゼイドのテーマを突き詰めて考えていけば仕方ない事でもありますが、やはり春映画と状況が似ています…。まぁ飛彩視点か永夢視点かという違いや、大まかなゴチャゴチャ度はだいぶ違いますが。
いや、春映画すらもエグゼイド正史の中に取り込んだという大胆な仮説を取れば、今回の犯人が春映画の話を見て「使えるやんけ」と思ったのかもしれない。

ゲーム世界では永遠の命が得られる。だから父親は娘に永遠の命を与えようとしたものの、娘の願いは会った事のない父親に会う事。
ゲーム世界で生き永らえることは出来ても、願いは叶えられないので笑顔にはなれない。

「人は死ぬよ 必ず死ぬ いつか君も 俺も死ぬんだ」
とは歌の歌詞ですが、どんな天才医師によって死を先延ばしすることは出来ても、そこから逃れることは出来ない。であれば医者としての永夢は何を成したいのかという部分で「笑顔」となる。
笑顔を与える為に医者として奔走する。

「エグゼイド」のテーマ自体をこの映画でしっかり描こうという内容の映画。
「真の最終回」と銘打っていたので「龍騎FE」的なシリーズにおける謎解きや驚きを提示してくれるのかと思いきや、えらい真っ当に「エグゼイド」としての映画を作っていて、何が最終回なのかピンと来ないまま見終えてしまいました。最終回以降のお話であったと明かされ、時間軸的な意味で「真の最終回」であったのだと分かる。なるほど。
なので、内容的な意味で「最終回」的なモノを求めても仕方なかったのだなと分かるに至るのでした。ははあ。

永夢が話の中心というワケでもないので、ゲストエピソードの一つという認識になってしまうのですが、では何をもって「真の最終回」的な内容における意義があったのか。

映画は親子のお話でした。
最終的に父は娘の願いを叶える為、バグスターの力を借りず、娘に笑顔を与えようとして、ひとつの家族に戻る。
現実をゲーム世界に転換しようとした父親が、それを誤りと気付き、子どもと和解するのです。

そう、これは黎斗と正宗の関係の反転と言える内容です。
最後まで反省も和解も無く散った檀正宗。それは永夢達からすれば「出来なかったこと」の一つですから、そのテレビ最終回で出来なかった事を映画でリベンジしたという意味で、この映画が「真の最終回」足りえる位置付けなのではないでしょうか。

まぁ黎斗が反省も何もしていない時点で、正宗の和解とか反省とかの可能性は無かったと思うが…。

とか考えていくと、また「エグゼイド」の物語の主人公が檀黎斗になってしまう罠なのである…ううむ。

仮面ライダー 各話レビュー
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