2016年 05月 14日
これまた随分と日数が経っているのですが、記憶の限り書いてみようかと。

今年は例年のオールライダー路線では無く、キャラクターに的を絞っての春映画。
仮面ライダー生誕45周年と銘打っての「仮面ライダー1号」の物語。



例年の春映画からの流れで見ると、今回は群像劇では無いしキャラクターの数もしぼっているからなのか、テンポはやや緩め…に感じました。
例年の場合は米村さんお馴染みのどんでん返し展開が必ず入るのでめいっぱい詰め込んでいる印象が強いけれど、今回は展開自体は素直な流れになっているのでそう感じるのかも…。

お話は、本郷猛が娘のように慕う少女の為に戦う事をやめるも、再び仮面ライダー1号・本郷猛として戦うまでを描いている。
つまり、本郷猛が失われたヒーロー性を取り戻す話であると言えるか。
いつも高らかに笑ってショッカーを騙して喜んでいた、我々の思う「ヒーロー・本郷猛」の姿では無く、四十五年ものあいだ戦ってきて彼なりに悩み、思うところが沢山ある「人間・本郷猛」の姿を描いているのがこの映画である。

そのため、我々の知るあの「本郷」が登場するのは終盤のみであるため、この映画に登場する大部分は我々の知らない本郷の姿であり、結果的に「これ藤岡弘じゃん…」と思わざるを得ない(ぇ)。

その「人間・本郷猛」の…分かり辛さみたいなモノが気にかかる部分で。
最終的に「ヒーロー・本郷猛」を取り戻すのであれば「人間・本郷猛」の状態は大切なモノが欠損した状態というコトになるのですが、映画を見ているとそこまでのネガティブな状態とまでは感じないというか…。
観客視点のタケル殿から見て分かり辛い大人ではあるんだけど、藤岡弘の逞しさがあまりに強いのでそこにネガティブ要素を感じる隙間がないというのか…ううむ。
あるいは、そもそも欠損しているとは描いていなかったのかもしれないが…。

本郷猛は命を落とし…しかして蘇り、再びショッカーとの戦いに挑みます。
あの瞬間、「人間・本郷猛」は死んだ…けれど不死身の「ヒーロー・本郷猛」は復活したのだ…と感じられる。

いつもの春映画だったらメタ要素によって蘇り現象は幾らでも解釈できるのですが、今回の映画はメタ要素皆無なので「ん? お? なんでや?」という気持ちがどうにも残ります…。現象の説明はありません。「分かるだろ?」というプレッシャー。
何というか…結構強引な手ではあるので、そこまでして死なせる展開というのは必要だったのかという疑問が僕にはあったのですが、後に読んだ白倉さんのインタビューによれば「一度死んでいるゴーストと同等の存在にならなければいけない」からであるとのこと。ほぅ。
この映画でのゴーストはあくまでストーリーテラーぐらいにしか思えていなかったので、そういう解釈もあるのか…と思いましたが。
最後に「本郷猛は俺にとっても永遠の英雄です」と言わせるため、本郷がタケルと同等以上の存在になっていなければいけない…みたいなコトなのだろうか…。


最後の最後に英雄・本郷猛が帰還するお話なので、そのカタルシスに至るまでが結構長いかなぁ…と感じたのも正直な感想。
バトルシーンこそ少なくありませんが、それらはいずれもカタルシスの発生するバトルではありませんので(やたら途中でシーンが切り終わる)、本当に最後のバトルシーンの一点まで我慢し続けなければいけない。

ですので、本郷猛のドラマとは別のラインの盛り上がり、カタルシス部分が用意されていても好かったのではないか…などと思ってしまいました。
ドライブ劇場版のように「何回クライマックス用意しとるん!」とまでは言いませんが、サブストーリーの盛り上がりポイントみたいなモノが各所にあったら見易いのではないか…などと思う。
例年のゴチャゴチャした春映画が好きだからか、今年はシンプル過ぎると思ってしまっているきらいがあるのかもしれない。
しかし、それをやると「本郷猛の映画」という前提が崩れてしまうのかなぁ…。うぅむ、難しや…。


「命が何故大事なのか」のタケルの回答に「古いなぁ…」と返す本郷猛。
この「古いなぁ」の使い方はまんまとやられたと膝を打ちました。

通常「古い」は「新しい」に対してネガティブな意味付けがされてしまいますが、今回の映画は本郷猛が主役だし、ショッカーとノヴァショッカーの対立にしても明らかにショッカー寄りに感情移入させるし、「古い」は肯定的に使われているんですよね。
既成概念を引っ繰り返す論法の面白さと、実はテーマが直球で言葉にされている事を煙に巻いて初めは気付かせない効果が生まれる。
いやはや実にやられました。


全体的な印象は、とにもかくにも「藤岡弘、」と「大先生」であること。
藤岡弘、という人間が体現するテーマをそのまんまフィルムに焼き付けている匂いをぷんぷん感じます。
というのも、いつもの大先生ならこんなにテーマ直球の語りは入ってこないだろうというシーンなどもあって、藤岡さんからの宿題を明確な形で提出する為にこういう描写になったのではないか…と思えました。
しかし同時に、いつもの大先生らしい「説明? しなくても分かるだろうが!」という圧倒的なパワーも込められていて、両者のパワーがひたすらに強く仕上がっている。

藤岡弘、と大先生のぶつかり合いの結果生まれてきた…ビッグバンみたいな映画…だ。

映画を見終えて、「藤岡弘、だなぁ」という気持ちと「大先生だなぁ」という気持ちの綯い交ぜで劇場を後にしました。
実に妙な味わいの映画で、真っ先に脳裏に浮かんだ言葉は「珍作…?」。
単純に自分の理解力の無さが悔しい…てコトなんでしょうが、久しぶりに「あぁ、大先生の書いた映画を見たぞ…」というこの感情に浸れます。

好き嫌いで言うなら苦手だし(ぇ)、いつもの春映画の路線の方が大好きなんですが、そういう単純なトコロに落とし込めない気持ちでもある。
見てからひと月半以上経っていますが、いまだどうやって消化するのか掴めない…。
そんな難しい映画でしたわい…。

仮面ライダー 各話レビュー
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COMMENTS

Commented by m-ohgi URL at 2016-05-18 12:21 #e3VPG48U Edit
Title :
最後の方で本郷猛が地獄大使に身体をいとえよと笑顔で去って行ったのは,ショッカーの偉大な科学力に感謝という意味か、あるいは戦友という意味なのか?ネオ・ショッカーはイケメンイケジョだっただけに最期はちょっとかわいそうな気がしました。
Commented by TJ-type1@管理人 URL at 2016-05-22 22:38 #- Edit
Title : ◆コメントありがとうございます!◆
>m-ohgiさん
素直に考えると、敵ながらも45年の付き合いで情も出来ている…みたいなルパンと銭形に近いモノですかね。
ボクとしては大先生が地獄大使を好き過ぎて、最後に共闘させるためにノヴァショッカー出したんじゃないかとすら思っているので、えこひいきや!という気がしないでもないですが。

ノヴァショッカーは経済を支配するといってる割に、やってること旧ショッカーと大差なくて、滅びるのも仕方なかったかもしれません…。

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