2015年 02月 16日
トッキュウジャーの記憶を思い出し、ライトを追って再び大人の姿になったトカッチ達。
たとえ二度と子どもの姿に戻れずとも、5人で旅をした思い出を失いたくはないと。

暗闇の中、昴ヶ浜の祭り灯篭が闇を照らし、レインボーラインの道を切り開く。その勢いでキャッスルターミナルの巨獣さんは敗北。なんとあっさりな出番よ…。
そして、その灯篭の光こそが皇帝ゼットが見たというキラキラの正体。

星に願いを込めた灯篭は、人々のイマジネーションの塊でもある。
だからこそレインボーラインを導く道となれる。
この辺は夏の劇場版でも同様の描写が成されておりましたなぁ。
みんなのイマジネーションが道となる。


ネロ男爵とモルク侯爵は自分たちの闇を皇帝に授けて消えていく。
トッキュウジャーは本当は子どもだから、幹部を直接倒す描写はしないようにという配慮がここにも表れていますね。結局シャドーライン幹部は身内だけで片を付けているんですね。
ゼットの言う通り、シャドー側でも皇帝以外の者がみんなキラキラしたモノを手に入れているってのが皮肉です。
靖子にゃんは皇帝にどんな恨みが…。
あの人、思い返してもそんなに悪い感じではないんだよなぁ。

ゼットと同様に、ライトもみんなからレッシャーを託される。
これまで成れなかった6号の姿にまでなって、しまいには光輝くレインボー1号に。
また…プレバンで売るやつだ…(ぇ)。

ライトとゼットの対決。
勝負はライトが勝ち取るものの、ゼットは消えず、グリッタと共に再び闇の奥に消えていく。
光と闇の戦いは終わらないし、戦い続ける事が大切なのだ…ダイレンジャーでも言ってたわ…。

グリッタの言う様に、闇あっての光、光あっての闇なので、光と闇の和解エンドっぽくなるのだろうかな~と思って見ていましたが、こうなりましたか…。
闇の皇帝の方はキラキラの価値を高く評価しているのに、光サイドであるレインボーライン側は「闇は討つべし!」と言ってる印象が強くて、両方存在しなくては意味が無いという割にはバランスが悪い気もするのですが…。
いや、レインボーラインの方はザラムを受け入れた事が、そのバランス描写なのかな?
それによって、どちらも相手側の価値は最低限認めているのだよとゆーことかもしらんなぁ。

光、キラキラとは、闇に対抗する力。
夢、希望、想像、祈り、その根源がイマジネーション。

最終回らしく総裁が説明をしてくれる。
…してくれるんですけども、個人的にはその「光」に対する「闇」の説明がされていないので、いまいちピンと来ない感じはしてしまう。
何となくその逆が「闇」なんだろうとは勿論分かりますが、輪郭はどうしてもあやふやなのが最後まで気にかかってしまった。
これ、「光と闇」をモチーフに使った作品に割と多い現象な気がする。
何だろう…スターウォーズリスペクトなのかな…。

大人の姿になったライト達でしたが、保護者や家族の皆さんはその姿を自分たちのイマジネーションによって受け入れる。
ここで周囲のイマジネーションによって救われる…いや、最終回はずっと昴ヶ浜のイマジネーションに助けられているのだな、うむ。
子どもの姿に戻れたのもご都合というよりは家族のキラキラのおかげで闇を払ったのだと考えられるしなぁ。

今までの旅が報われた結果なんだと感じられるラストではなかろうか。

◇ ◇ ◇


スーパー戦隊初の列車をモチーフにしたシリーズ。
個人的な印象では、ゆるめの作風といつもの靖子にゃんである傷だらけになる作風がミキシングされたシリーズだなぁと思いました。
ゴセイジャーとシンケンジャーを混ぜたらこうなるんじゃないかなー…みたいな。

緩めに感じる主な点は、トッキュウジャー自体がストーリーを引っ張っていく役割ではなかった事と、後半になるまでコレといったドラマも持っていなかった事が挙げられるかしら。

その分、話を牽引していたのはシャドーラインでした。
トッキュウジャーが初めから幼馴染の仲良しで関係性が変化しなかったのに対し、シャドー側は騙し合いの中でじわじわ関係性が変化しているのが見物でした。
クリスマス決戦の際、シュバルツとノアとゼットの争いをただ見ているだけで何もしないトッキュウジャーという図があってジワジワ面白かったのですが、あれは「トッキュウジャー」という番組のストーリーを実によく表していた図だったなぁと思います。

まぁそれは前述した、子どもであるトッキュウジャーに殺しはさせたくないという配慮があるからこそでもあるのかなと。
トッキュウジャーが始末を付けずに敵幹部を番組から消していく為に、敵側にそういったドラマ要素を配しておいたのではとも考えられるわけで。

シャドーの殺伐としていたドラマと一線を画してゆるふわとしていたシリーズ前半は、自分たちの記憶を思い出す事が一つの番組内フォーマットになっていました。
記憶喪失者が自分の記憶を取り戻すために奔走するってのはよくある話なんですが、自己完結的になりがちなので毎週やるのは大変そうだなぁと思いながら見ていたのを覚えています。
また、記憶喪失なのに幼馴染という矛盾した設定にちょいちょい苦しめられていたのも時折感じました…。

そんな感じで、主にシリーズ前半は話運びが難しそうでやや窮屈な印象でしたが、後半に記憶を取り戻してからは目的が明確化して話も加速して楽しくなっていったシリーズだったなぁという印象でした。
前半は「靖子にゃんにしては随分と緩いですね」と思いながらでしたが、後半は「いつもの」でしたね。うん。



個人的には関根さんの扱いに長けた加藤監督回が印象深いシリーズになりました…。どうしてもギャグ重視で見ているのな、オレはな…。

といったわけで。

「烈車戦隊トッキュウジャー」

1年間ありがとうございました。

製作に携わった皆様に感謝。

また、ここを読んでいるあなたにも。



次はニンジャ。
メインが下山さんということで、お笑い戦隊への期待が膨らむ(え)。

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COMMENTS

Commented by はっさく URL at 2015-02-17 01:12 #3YfCsY.g Edit
Title :
トッキュウジャー最終回、やや展開が駆け足&詰め込み過ぎな気もしましたが、良い最終回でした。

ダイレンジャーは僕も思いましたw
戦隊で光と闇は表裏一体っていうとどうしてもアレ思い出しますよね。

キラキラ(イマジネーション)と闇に関しては、スマプリのメルヘンとバッドエンドの関係と同じような物かなぁと個人的に思っています。

子供の頃はだれもが持っていた純粋な(ハピプリで言うところのイノセントな)気持ち。そのままの意味での空想力、現実に対する理想、未来への希望、夢見る心がキラキラなら、
闇はどうにもならない現実、未来への不安、絶望、諦めといった「前へ進む」ことを阻む概念(ピエーロの言う「怠惰」)なんじゃないかと。

仲間と共に何がなんでも前に進もうとするトッキュウジャーと、闇に覆われた街の人々の時が止まってしまっている描写を見るとそれっぽいかなとは思います。

ただ、シャドー側の面々がキラキラを手に入れた経緯が、全員とも「誰かを想う心」だったこと(同時に皇帝に欠けていたものですね)を考えると、
ドキプリやハピプリにおける「愛」の要素も含まれている気もします(「困っている人に手を差し伸べ、共に未来へ進もうとする心」ですね)。
ということは対する闇は「ジコチュー」「憎しみ」でもある?

皇帝が死なず、グリッタと共に闇へ帰っていったのも、闇が倒すべき「悪」ではなく、キラキラと表裏一体のまさしく「光と影」だと考えればしっくりくる結末だったと思います。(ジコチューも憎しみも、愛と鏡合わせ、表裏一体の概念でしたから)

ただ、だったらもう少し劇中でそこらへん掘り下げてほしかったなぁ。そういうところもある意味スマプリっぽい。

ゼットに関してももう少し救済されてほしかったよ。
振り返ってみてもあの人そない悪いことしたか?って感じだし、むしろ武力で地上侵略を企んだ将軍や下剋上狙いまくりだった夫人のほうがよっぽどえげつなくね?

男爵や侯爵の行動も、本人たちなりに皇帝を思ってのことだったわけだし。
改心した敵幹部より最後まで悪側だった幹部のほうがマトモってある意味すごいよね。




Commented by 仮帯 URL at 2015-02-17 08:26 #ihMNMLjo Edit
Title : 虹と乗り換え
結局、乗り換えできる理由というのがわからずじまいで個人的にはモヤモヤしています。
6号は当初乗り換えできなかった訳ですし、最終回で何故急に……?
本当に仲間だと認めたからだということなら、もっと早くに乗り換えできるようになったことをアピールして欲しかったですね、
乗り換えできなかったのができるようになったというのは、結構重要だと思うのに……その辺も最終回を駆け足に感じちゃう理由ですね。

あと、個人的には闇の黒を入れて7色、虹になると予想していただけに、闇=ゼットがトッキュウジャーから否定されたまま終わったのも些か残念。
この辺をVシネマが補完してくれたらいいなあ。
Commented by けんけん URL at 2015-02-18 13:45 #1k9YIoo. Edit
Title :
闇と光の関係についてですが、世の中は基本的に闇で、で、その闇の中でどれだけ輝けるかなのかと。そういう意味で、光はイマジネーションで、生きる希望なのかと。我々の目に見えてるものは結局は真実などではなくて個々人のイマジネーションの像でしかなく、見る人の気持ちしだいでどうにでも見えるものなのではないでしょうか。同じものを見ても違って見えるということもあるわけで、逆に、違うものを見ても同じものに見えるということもあるわけです。そうした観点からトッキュウジャー的には子供の姿であろうと大人の姿であろうと親にはどう見えてたとしても本質的には同じ自分の子供の姿が見えてたということになるのかもしれません。けだし、そこに希望があれば世の中は明るく輝いて見えるし、希望がなければこの世は闇のままであろう。イマジネーションがあれば、今まで見つけられなかったものも見つけられるようになるのかもしれない。ゼットが深い闇の中に光をみいだしたのも偶然ではなく、ゼットの中のイマジネーションというか希望のあらわれなのではないかと。そうした意味でゼットはけっして悪役などではなくて、闇の世の中があたりまえになってるわれわれ大人の権化として描かれていたのだ。闇の世の中があたりまえになってる薄汚れた我々にも、ときとして希望やイマジネーションがはたらくときがありますよね。けれどもその希望やイマジネーションは厳しい現実に、はかなく、うたかたに消えてしまうことも多い。光を手に入れられなかったゼットの絶望はわれわれ大人のそれなのだ。逆に、光を失い、いっとき闇にのみこまれたライトは、夢をあきらめ現実を受けいれた若者のなれのはて。光を失い、闇に堕ちたとしても、それで闇を制することなどできない。それに気づいたライトは、やはり闇にたちむかうには光すなわちイマジネーションしかないと諦観したのだ。ともすれば、いつでも闇に飲み込まれてしまいそうになる厳しい現実をわれわれは生きているけれど、それでも希望をイマジネーションをあきらめないで、というのがこの烈車戦隊トッキュウジャーからのメッセージだったのではないでしょうか。闇は消えない、だからシャドーラインも消えてなくならないで残ったのでしょう。シャドーラインはいつでも私たちの心のすきまをねらってきます。だからイマジネーションを忘れないようにと。そんなメッセージだったと思います。
Commented by ミスターグラブシ URL at 2015-02-19 20:51 #- Edit
Title :
トッキュージャーで語られていた闇について、最初は大人が悪いことをしているのを見た子供が「悪いことをしてもいいんだ」と感じて生まれたものだと思ったのですが後半の展開を見ると悪とを良しとするというより、夢に破れて現実に妥協してしまった心が闇を誕生させてしまったのではないかと。そもそもレインボーライン関連はイマジネーションがなければ見えないのにシャドーライン関連はイマジネーションの有る無し関係なしに見えるのが不思議だったので。
Commented by トッキュウ7号 URL at 2015-02-20 07:22 #CYTlRY3Y Edit
Title : なんとなくキレイにまとめた感じの最終回でしたが…
チケット君の正体というか、チケット君とはいったい何者だったのか?結局イマイチわからずじまいだったようで、そこが、そこだけが残念でしたトッキュウジャー。あとレインボーラインには終着駅がないというかレインボーライン自体は山手線みたくグルグル回ってて、けっきょく乗客が自分で、自分の意思で終着駅というか降りる駅を決めるみたいな感じだったのかしら?
Commented by エックス URL at 2015-02-20 11:09 #cFAXi2B6 Edit
Title :
>>ゼットの言う通り、シャドー側でも皇帝以外の者がみんなキラキラしたモノを手に入れているってのが皮肉です。

う~ん、ゼットもグリッタを始末してなかった点において少しキラキラしてたのかな~とも。
トッキュウジャーは光と闇の相克をテーマにレインボーラインとシャドーラインの対決が描かれてたようにみせかけて、じつは人間だれしも光と闇と両方もちあわせてるということを描きたかったのかもな~と。
だから、光が正義で、闇が悪で、という単純な構図ではなく、みんな誰でも時として光になったり闇になったりと、そうやって生きてるんだよ~みたいな。
ライトもいちど闇を経験したからこそ光のイマジネーションの輝きをよりいっそう感じることができたんじゃないのかな~。
ゼットもどんなに光を求めても手にいれられないからこそキラキラにあこがれて、みたく。
うまいこと敵も味方もまじえて、闇と光の関係を描いてたようにも思います。個人的には
Commented by TJ-type1@管理人 URL at 2015-02-21 03:44 #- Edit
Title : ◆コメントありがとうございます!◆
>はっさくさん
トッキュウジャーが子ども側だったので、シャドー側が荒んだ大人のようにも考えられますよね。
だけどゼットやグリッタはどちらかというと子ども描写だったのが釣り合わない…いや、最後に生き残ったのがあの二人というのは闇に対する希望、また光になれるという意味でもあったのかも。
やはりもうちょっと闇側の説明は欲しかったかなぁ…。
何で世界を闇に染め上げたいのかもあまり説明していないような…それが闇の者の本能だからという感じなのでしょうか。いつもの靖子にゃんなら、あやふやな自分の存在を明確にしたいから…みたいな動機語りがありそうですが。


>仮帯さん
インタビューによれば乗換変身は本当に意味付けを決めずに始めたらしいですね。アクションの変化を付ける為というのが第一義的だったとか。
レインボーラインなのに7人出なかったというのは確かに「おや?」な部分ですね。
まぁライトだけ赤~黒で7色+レインボーになっていますが。
Vシネで紫が出るとか出ないとかといった話もあるようなないような…。


>けんけんさん
シャドーラインもレインボーラインも実は同じ烈車が走れるというコトで、光も闇も自由に選ぶことが可能なんですよね。その辺で未来に向けての暗示を仕込んでいたのかなーとは思っていました。ただ劇中で一回ぐらい明確化してくれたらなーとも思ったのです。
臭くても言葉にする爽快感のようなモノは最終回にはあってもいいかなと。


>ミスターグラブシさん
イマジネーションに対するモノなので、闇は邪悪なイマジネーションなのかなーと序盤は思いましたが、「初めから悪人はいない」説で、子どもは基本的に光サイドなんですよね。
となるとやっぱり大人の中にある荒んだ心が闇なのでしょうか。その割にシャドーの人たちは結構真面目だったんですが…。


>トッキュウ7号さん
たしか車掌の腕を離れても喋ってて「うそだろ…?」みたいなくだりもありましたよね。
ギャラクシーラインの車掌もパペットを付けているし、必ずああいうモノが必要なのか…あれこそが烈車の本体なのか…。
関根さんがいるので小堺さんもいつか出るんじゃないかとも言われていましたが…。
謎は深まるばかりです…いやイマジネーションの翼が広がるのか(良く言えば)。


>エックスさん
人の中には光も闇もある…みたいな話は會川さんが書きそうです。
ボクもそういう流れになるかと予想して、ライトがゼットを認めて終わるのかなと思ったのです。
そういう個人の中の心情で描くのではなく、全体の光と闇の争い自体でテーマを語っていたんでしょうかね。
光と闇は消えないので戦い続ける事が大事だと…やはりダイレンジャーか…。
Commented by kanata URL at 2015-02-22 21:57 #KqigePfw Edit
Title : Over the Rainbow
 ブラック一号は高額商品としてなら容易でしょうけど、レインボー一号は真面目に再現しようとしたらかなり大変そうです……。

 トッキュウジャーに敢えて幹部の始末をさせなかったというのは、なるほど納得。内輪もめによる脱落者が多いとは思ってましたが、なんと結局ヒーローの手では一人も倒さないまま終わりましたか。
 昔の戦隊だったら終盤にバタバタと始まっていた内紛劇を、年間通して丁寧に描いてみたって意図もあるかもしれませんね。

 実際のところ没設定としては、シャドウライン側の幹部も子供、もしくは幼いうちに死んだ死者って予定もあったんじゃないかと思ってたりしますが。
 特にザラム(明)や皇帝の年齢、ギリギリまでは子供ととっても大人ととってもいいようにしてた気がするので。……まあ厳密には没確定という訳ですらなく、シャドーさん方の年齢だとか素性は不明なままで終わったのですけど。

 ちなみに上の件やらチケット君の正体あたりは「何でもすぐに答えを求めてはいけない」でも許容範囲な着地点でしたが、光と闇ってそもそも何だったの?とか、トッキュウ六号とはどういう存在だったの?とか、さすがにそこは触れないまま終わったら駄目だろうってもやもやも残ってはいますよね。
 いや最終回そのものは大満足でしたけど、冷静に考えてみたら。
Commented by TJ-type1@管理人 URL at 2015-02-27 22:55 #- Edit
Title : ◆コメントありがとうございます!◆
> kanataさん
キラキラのラメ入り1号で何とかプレバンさんはしてしまいそうです。さすがにマジョーラとかは使わないと思いますが…。

シャドーの設定に関してはどうしても謎が残っているので、推測による補完を結構しないといけませんね。
トッキュウジャーが幼馴染という集まりに対して、親子とか軍人とか乳母とかで規則性もあるんだか無いんだかでしたが。
靖子にゃんもVS映画からTVシリーズに戻って来たら、年末決戦+残り6話しかないと慌てたそうなので、これでもきっとギリギリ盛り込んだのだろうなぁとは推測できます。

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