昨年、「最後の大集合」と銘打って幕を閉じた「オールスターズDX3」。
そして新たに幕を開けた「New Stage」。
「さらば」の後の「超」みたいな、何とも東映さんらしい展開…とも思ったのですが、実際に映画を見てみると…なるほどな、とも思えます。
同じ「オールスターズ」でありながらも、「DX」と「NS」はコンセプトが全く違うのであるとよく分かる。
「DX」がキャラクターからプリキュアさんを描いていたのに対し、
「NS」ではストーリーからプリキュアさんという存在に迫っている。
そのアプローチの違いが鮮明に表れていて、「DX」とはまた別の充足感を与えてくれる映画になっていると思う。
■Deluxe → New Stage映画は横浜の町がフュージョンさんに侵攻されるトコロから始まります。
ビルの間から怪獣の姿で現れるフュージョンさんがとってもクール。
これは怪獣=東宝を倒すという東映さんのやる気の表れですね、なるほど(え)。
このフュージョンさんに立ち向かうのが初代からスイートまで6組のプリキュアさん達。
「DX1」の敵であるフュージョンさんではありますが、この「NS」では当時参加していないハト・スイート組も戦いに加わっている。つまり同じ街と同じ相手ではあるけれど、「DX1」とは別の歴史の世界であるというワケですね。
てことは、別にフュージョンさんじゃなくても良かったんじゃないのか…という疑問も浮かびますけどね。わざわざ新シリーズとして始めるのならば尚更…。
この序盤のバトルが、バトルという面においてはこの映画のクライマックスであるとも言えます。まばたきを許さぬ怒涛のアクション。
そして、このアクションシーンは「DX」シリーズを暗に示していて、その戦いの後に広がる物語こそ「NS」なのだとメタ的にも示唆しているのだと思われる。
「NS」はアクションで魅せた「DX」とは違うんだぜ、と最初から語りかけてくるかのように。
物語は横浜に引っ越してきたばかりで友達がいない坂上あゆみという少女を視点にしたお話。
少女は偶然、フュージョンの欠片・フーちゃんを拾い、友達となる。
最初は可愛いだけのフーちゃんも、成長すると力を増し、あゆみの拒絶するモノを全て消し去ろうとする。
この辺りのお話が怪獣映画みたいだなぁと思ってワクワクしました。
怪獣の卵を拾って育てたり、近所の犬が食べられちゃうなんて話も定番だぜぃ。
個人的には「ガメラⅢ」を思い返す。あぁ、近所の人が皆ミイラになっちゃうー!
坂上さんは偶然、道でフュージョンの欠片であるフーちゃんと出会いました。
かたや、多くのプリキュアさんもまた、偶然に謎生物と出会いプリキュアに変身する力を得ている。
どちらも空から降ってきた謎生物に偶然出会うというシチュエーションにありながら、なぜ美墨さんや日向さんの方がプリキュアになれて、坂上さんは近所の犬や母親を食われる恐怖体験を味合わなければならないのでしょうか…。
妖精か、邪悪の融合体か、そこにどんな違いがあるというのですか。
いやホント、それって視点とかスタンスの問題ってだけじゃないかなーと思う。
「DX」シリーズでは各シリーズのプリキュアさん達を描いてきましたが、「NS」では坂上さんというプリキュアではない少女の姿を描いているのが、コレまでと全く別のアプローチで面白い。
「プリキュアになった少女」と「プリキュアではない少女」とをぶつかり合わせる事によって「『プリキュア』という存在は何か?」というテーマに切り込んでいく。
「DX」シリーズの場合、既にプリキュアになっている少女しか登場しないので、言うなれば「プリキュア」という存在は最初から全肯定されていると言ってイイ。
しかし、そこに非プリキュア少女を放り込み、「プリキュア」という存在に懐疑的な視点を盛り込んでみたのが「NS」。
それによって、「プリキュア」を内側からではなく、外側から切り取ろうとしているのが分かって面白いのだなぁ。
ただ全肯定して自社ブランドを盛り上げるよりは、「ディケイド」や「ゴーカイジャー」同様、対立させる事で対象の良い部分を見つけ出そうとする、こういう冷静なスタンスの方が個人的にも好みだったりする。うむ。
「NS」は普通の少女が歴代プリキュアに背中を押されて、遂に本物のプリキュアになる物語です。
「本物になる物語」という意味で、ディケイド・ゴーカイ的な要素も強い気がします。プリキュアが世間に認知されていて、憧れる少女が居るという設定も、メタ的に受け止められるしなぁ。
「NS」は「オールスターズ」と銘打ってはいるものの、「DX」のようなお祭り映画ではありませんでした。
一人の少女の変化を描いた、より物語性の強い映画を目指していたのが分かります。
この映画はお祭り映画ではないし、観客が既に知っているプリキュア少女が主人公の物語でもありません。
しかし、「プリキュアとは何か」に迫り、「本物のプリキュアになる」この物語は、しっかりと「オールスターズ」という映画でしか描けない物語になっている。
間違いなく「オールスターズ」の「New Stage」なのだよ。これは。
■キミが変身する「DX」シリーズ…だけでなく、これまでのプリキュア映画とは違う角度から少女の戦いを描かれているのが「NewStage」です。
それはプリキュアとそれを見守る人々、ヒーローと守られる一般市民との関係性を変化させる物語にもなっていたと思う。
これまでのプリキュア映画では、少女が戦いの中でピンチになった時、ミラクルライトの光、人々の声援によって力を貰い、再び立ち上がる姿を描いていました。
前述したように、これまでの映画はプリキュアを内側から描いていた作品ですので、少女が周りの人達から力を貰い、勇気付けられる展開も自然に受け止められるコトが出来たでしょう。
しかし、「NS」はプリキュアを外側から描くお話なのです。
プリキュアではない普通の人間の視点で描かれる「NS」で同じコトをすれば、「プリキュアという少女に争いを任せ、自分たちは応援こそするものの、それ以上は何もしない…」という人々の姿がまざまざと映ってしまうのです。
うーむ、これはえぐい。
では、どうするのか。
その答えが「プリキュアになる」という事です。
今まではライトを振っていた少女が、今度は自分で立ち上がる。
プリキュアとか、ヒーローとか、他の誰かに「頑張れ」と言うのではなく、自分が頑張ってヒーローになればいい。
といっても、どうすればいいのか分からなくなる事もある。
そんな時はプリキュアさん達が支えてくれる。
自分が過去に見てきたプリキュアやヒーローのようにしてみればいい。
そうすれば、今度は自分自身がヒーローに近づける。
そうして誕生したのがキュアエコーさん。
それはプリキュアという存在に憧れ、いつかプリキュアのようなヒーローになるであろう、未来の子ども達の姿…なのだと思う。
だから「NS」ではミラクルライトの使い方も今までとは違う。
今まではライト=応援だったけれど、今回のライトは場所を示したり、暗闇で道を作ったりする「道しるべ」として機能しています。
ヒーローになろうとしているキュアエコーさんに、進む道を示すのがミラクルライトです。
それって、自分がこれまで憧れた、そうなりたいと願ってきた、プリキュアやヒーローの姿を表しているのではないでしょうか。
つまりライトが象徴している存在が全く逆転しているのだと思う。
これまではプリキュアを応援する一般市民がライトを振っていたけど、今回は普通の少女に進むべき道を示す光であり、ライトを振っているのはプリキュアの方なのだと言える。
個人的にもこのライトの扱い方は非常に納得出来るものでありました。
声援という物が素直に力になるというのも分かるけれど、ただ「頑張れ」と言うだけの無責任感ってのを、震災後の情勢の中では結構感じることが多かったです。
その言葉を口にした瞬間、その人は外野にいる感覚…というかな。
「NS」はそんな震災後だからこそのヒーロー像をしっかり追及している作品だと思う。外野に居るのではなく、全員野球をやるのだと。
だからこそ、プリキュアではない少女が覚醒する物語を描くコトになったのだと思います。
今だからこそ、こういうプリキュアの話が必要なのだと。
■みらいのともだち時代性とメタな視点を盛り込んだ、爽快な映画だったと思う。
このテーマ性の強さが今までの「オールスターズ」とは違う充足感を与えてくれて、満足感があります。しっかりと噛み応えがあるお話。
決着のつけ方もスイートのラストを経ていれば当然の帰結といった感じで納得。
個人的にも、今までと違うコトをしている新鮮味が心地好かったのでもありました。
しかし、コレまでと同様のキャラクター映画を期待すると、喋らないプリキュアさんも多いだけに不満を感じる方もいるかもしれませぬ。
ただ現実問題、全員に台詞を与えるコトが厳しいのは分かりきったコトでもある。
ならいっそ、スマイルとスイートの「VSシリーズ」として作っても良かったンじゃないか…とも感じられるかもしれない。しかし「プリキュアとは何か」というテーマを扱っている以上、そこは「オールスターズ」である事の方がテーマに即していたのであろうと思われる。
確かにボク自身も、過去のプリキュア陣が喋らない事に結構驚きは感じました。
しかしまぁ、初代黒白が映画の一番美味しい所をかっさらって行ったので、それはそれでイイのかなと思ってしまった。
幾らなんでもそんなアホな…と思える怪力でした。
あ、でも「あぶない刑事」でも船を押し返すギャグあったなぁー(え)。
横浜って、そういう街なのかな…。
ま、そんなわけで。
新鮮味のあるプリキュア映画であり、色々と思考できる映画でもありました。
割と個人的嗜好にも近かったので楽しかったですねぇ。
ウルトラマンや怪獣映画っぽさがグッと来ます。
ただ、劇中ではタイトルの「みらいのともだち」について言及が無いんです。
タイムスリップものではないかという期待もしていたけど、そんなこともなかったしなぁ。
この記事中に書いたように「未来の子どもたち」を示しているのかもしれません。
あるいは、もっと物理的に…
「(みなと)みらいの(街に住んでいる)ともだち」
…て、だけだったのかもしれない。
う、う~む…。
⇒
プリキュア 各話レビュー
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