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『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』

本当の最終回と銘打たれたジオウ劇場版。
それは「仮面ライダージオウ」最終回というよりも、「平成ライダー」最終回であり、ひいては「平成」という時代そのモノの最終回を描いてくれているような映画でした。


「お前たちの平成って、醜くないか?」


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『映画 プリキュア ミラクルユニバース』

あまりに忘れた頃に書き始めております…。

平成も終わりのプリキュア春映画は実に春映画らしい春映画でした。
ライダー春映画が無い分を補って余りある春映画成分が存分に楽しめるというそんな一本。

突如宇宙へとやって来たプリキュアさんたち。
「そんな細かい説明は本筋とは関係ない」とばかり合流過程が荒っぽいのがまず楽しいです。丁寧なのもまた良いのですが、春映画にはこのぐらいの荒っぽさを求めている自分がいる。

宇宙に存在するミラクルライト工場が今回の舞台。
宇宙でありつつ工場が舞台というスケール感の分からなさに戸惑いを覚えつつ、今回の映画は「プリキュア映画でミラクルライトを使う事はもうみんな知ってるよね?」という前提条件から始まっていると分かり、早速もって“プリキュアリテラシー”の高さを要求されます。

それもそのはずと言いますか、「プリキュアを15年応援してくれてありがとう」というメッセージを具現化したのが今回の映画です。
応援が無ければプリキュアは終わっていた…という率直な、そして現実的なメッセージが語られていて、実にメタさもあります。この辺もまた“春映画”らしいポイントなのです。

ミラクルライトをメインに扱うということで「応援」がテーマになっているのですが、終盤、ラスボスさんが邪悪なライトの応援を受けてパワーアップするくだりがあって驚きました。
それはプリキュアさんがいつもやっている事の意趣返しではあるのですが、同時にそれは、ネット上などで憎悪やヘイトが簡単に拡散して肥大化しやすい現代社会で実際に存在している事でもある。

みんなの応援によってプリキュアさんは力が出る…でもそれは憎悪を扇動する人にだって同じ事が言える。現代的でありつつ、また意地悪なポイントを突いて来る。
そこまで近しい存在だからこそ、ヒーローをヒーローたらしめるモノとは何なのかと心に問いかけねばならない。

応援というテーマはHUGプリで強調されたテーマでありますが、この石ノ森的なプリキュアも敵さんも非常に近しい存在として描かれている部分はスタプリのTVシリーズでもちょくちょくお見掛けするテーマでして、ここにスタプリ主体の春映画という主軸が見受けられます。

価値観や視点が変われば善悪がひっくり返る、そんな多様性を描いているからこそ敵さんもまたプリキュア化しうる…。
てな事を思うと、TVシリーズの展開に期待も募らせてくれる。


メタ的なメッセージや荒っぽいノリで春映画(狭義の意味)らしさを久しぶりに堪能させて貰いました。
春に春映画を見ると安心するなぁ…。

『映画 ドラえもん のび太の月面探査記』

随分前に見ましたが、恒例なので今更ながらに書いておきます。

「南極」「宝島」と3年連続でオリジナル作が続く映画ドラえもん。
今年は「月」へと行って参ったとのことです。

月にはウサギが居ると思っていたのび太は、“異説メンバーズバッジ”を用いて月の裏側に住むウサギを自ら作り出す事としました。
原作では地底人を作ったエピソードが月面人にシフトして利用されています。

粘土で月面人を作るのですが、その際に作った失敗作が後に怪物となって月面人を襲いに来るくだりがあります。
原作では地底人なのですが、地底人も怪物ものび太が作り出したにも関わらず、見た目が悪いという理由だけで怪物扱いされてしまう試作地底人があまりに不憫でもあるのです。
今作ではそんな怪物扱いの試作月面人とも和解が描かれ、原作にあった理不尽が少しだけ晴らされたようでもある。

昨年の「宝島」に続いて著名クリエイターとのコラボを軸にした映画なのですが、昨年と比較すると今年は「ドラえもん」“らしさ”のようなモノが維持されつつ辻村氏の作家性をミックスしてくれているのかなと感じます。(元々辻村作品にドラ的な物があるという可能性もありますが、詳しくないので)
いや、個人的には「宝島」は「ドラえもん」としてはかなり変化球だと感じましたのでね。それが良いとか悪いとかは別にして、原作に重きを置くファンとしては今年の映画の方が安心感はありました。

映画の後半では、秘密道具などのギミックを用いたロジカルなどんでん返しが使われていて、その為の事前説明にかなり気を配っているなーと感じられました。そういう意味では前半は説明が多い印象ですね。

その、クライマックスでの異説・通説のどんでん返しに絡めたテーマとして語られるのが、「フィクションと現実との関係性」。
月面の裏に文明があるだとか、天動説だとか、現在では常識(通説)とはなり得なかった「異説」を、いわば人間が想像力で生み出した「フィクション」と同義のモノと定義することによって、現実とフィクションが相互に作用している関係性を語っている。

こういうフィクションと現実との関係を語るメタフィクションって、「ドラえもん」の原作で語られる事はないテーマなので(ネタとしてはある)、おそらくこの辺に辻村深月氏の語りたいテーマが含まれているのだろうなぁと感じられました。

現実から小説や漫画といったフィクションが生まれてくるだけでなく、本来作り物であるはずのフィクションが現実を変化させる作用を与えることもある。この映画ではそう語られています。

これ、辻村氏が「子どもの頃からドラえもんを見ていて~」と語るインタビューを読んでいたので、「ドラえもん」という創作物に影響を与えられて現実に作家になった氏が今や「ドラえもん」の話を創作しているという、その相互に作用しあう現実と創作物の関係性をそのまま物語化しているのだなと感じました。

これは原作約50年、アニメ40年の歴史があるからというのは勿論のこと、外部から参加することになった作家さんだからこそ語れるテーマでもあると思います。

あ、同じく小説家の真保祐一さんも以前書いてくれていたけど、真保さんは半分シンエイ動画の身内みたいな面もあるので…。


そして最後には来年もまた映画をやってくれるとお馴染みの告知。
それを見る限り…原作付ならアレ…でしょうけど、オリジナル作っぽくもある…でもそろそろ原作大長編が見たいのだが…はてさてな。

『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER』

まもなく終わりを告げる平成という時代と共に、平成ライダーの時代も過去のモノとなる。
そんなタイミングでしか出来ないであろうと銘打たれた「平成ジェネレーションズ FOREVER」。

「平成〇〇」という呼称こそ、ゴジラもガメラもウルトラマンでもありますが、自らその呼称を公式化の概念として築いてきた「平成仮面ライダー」シリーズでしか作れない企画の映画になっていて、自分たちの強みを活かした、それでいて王道展開に習うシロモノであったと思います。

今回の敵さんは、スーパータイムジャッカーのを名乗るティードさん。並のタイムジャッカーが平成ライダーの歴史を利用してジオウを消そうとしている中、ティードさんは平成ライダーの歴史そのものを丸ごと消してしまおうと画策する。

全ての始まりは2000年の1月、「仮面ライダークウガ」放送開始の前日。
その日、歴史は「平成ライダーが実在する歴史」と、「平成ライダーが実在しない(テレビの中にだけいる)歴史」とに分岐する。言わば、視聴者にとっての「現実」と、「テレビの中の世界」とに。


現実とフィクションの関係を描く、直球のメタフィクション話。
ディケイドですらそこまでは言わなかったのに…。
しかし、だからこそこの20年間のシリーズを総括する物語として、今の子ども達だけでなく、昔の子ども達にも訴えてくる話となる。

仮面ライダーはテレビの中の絵空事で、実在しない。
でも、子どもの頃に憧れて信じた仮面ライダーの姿は幻ではなく、自分の中に生き続けている。
ならそれは実在するのと変わらないじゃないか。

ジオウというか、オールライダーを描く上での「メタ」と、実在しない人間としての桐生戦兎を重ねて、オールライダーではあるけれど「ジオウとビルド」のお話になっているのが膝を打ちました。いや、なるほど。
オールライダー映画はメタネタが多いコトでお馴染みなのですが、その中でも最も万人に刺さる仕上がりになっているのではないかと感じました。しっかりとメタ話で王道のヒーロー映画になっているので、何なら大人にこそ「これは俺のための物語だ!」と熱く感じるお話になっています。

しみじみと、「そう…これが観たかったんだよ…」と思ってました。
メタ好きおじさんとしても大変満足でした。

あと、公式がバラしてくる情報を逃げていた電王のくだり、登場する事こそ知ってはいてもウルッと来てしまった。自分でも不思議でしたが、やはり久しぶりだからかなぁ…。

「誰の中にも子どもの頃に憧れた仮面ライダーがいる」というのが今回のお話の肝でもあるのですが、これって長年テレビというメディアで放送され続けてきたヒーローだからこそ出来るネタなんですよね。

例えばアメコミヒーローと比較すると、スパイディやバットマンは名前こそみんな知っているけど原作コミックを読んでいる人はアメリカでも案外と少ないし、常に映画やテレビのシリーズがあり続けたわけでも無い。
何なら、アメリカのドラマは2クール放送したら2クールお休みが基本なので、通年で放送し続けるヒーロー番組がほぼ無いと思われる(たぶん)。

通年でテレビ放送し続けて、いつの間にか「日常」と一体化したヒーロー番組だからこそ、今回のようなお話のネタに使用できるのです。
「俺にとってはクウガ」「私にとってはファイズ」といった世代を超えた共通体験の歴史は、大バジェットのマーベル映画にも易々とは作れないのです。
そういう意味では、それこそが日本の…というか東映ヒーローの強みなんだと感じます。

長い歴史があるからこそ、「これは自分の為の物語だ」と多くの人間に訴求させる力がある。
毎回出来るコトでもないのだけれど、しかしこれは強いアドバンテージだよなぁと思うのです。


結局、ティードさんの正体に関しては言及ありませんでしたが、あそこまで平成ライダーの歴史そのものを消したいとなれば、メタルヒーロー過激派か、「燃えろ!!ロボコン」過激派か、この二つのどちらかなんでしょうなぁ…。

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『劇場版 仮面ライダービルド Be The One』

東都、西都、北都の三つの国…いや、この時点でエボルトが統一しているから3州(?)で新たに登場した3人の知事たち。
その知事たちはエボルトと協力関係にあったブラッド族なる謎の宇宙生命体(説明なし)で、エボルトの遊びに我慢できず自ら地球を滅ぼしに動き出したのだという。

テレビの方では統一支配されてしまった三ヶ国ですが、映画で再び登場し、ビルドに襲い掛かって来る。
テーマ的にはテレビシリーズの「ビルド」で描かれているモノを70分で見せるように再構築、ビルドしたお話と言えるでしょうか。

地球を滅ぼす為、勝村政信はエボルト因子を持つ万丈と共に2人の知事たちも吸収し、仮面ライダーブラッドとなってビルドを叩きのめす。
ビルドは赤と青のボディカラーですが、敵さんがブラッドと言うからには動脈・静脈を意味したカラーだったというコトなのかしら…。

ブラッドはエボルト同様、他のモノを吸収して支配することによってパワーアップしていくライダー。

かたやビルドに残された手は万丈と戦兎の合体変身。
こちらは変身後もそれぞれの意識が残っていて、どちらかに支配されているワケではない。
Be The One――ひとつになる、のは同じくしながら、似て非なる変身。

互いに仮面ライダーの名を持つビルドとブラッドですが、「人間の自由の為に(ショッカーと)戦う仮面ライダー」においては、自由意思を失っていないライダーにこそアドバンテージが与えられるのです。

また、映画では国民がみな意識を乗っ取られビルドに襲い掛かって来る。まさしく自由意思を奪われてしまう。自由意思を持ったままヒーローにレンガを投げるマーベル市民とどちらがいいのかは、ちょっとよく分からない…。

これまで守って来た人々から嫌われ、襲われる。
それでもヒーローとして人々を守る心はあるのかと突きつけられる。
戦兎は、賞賛も感謝も無くとも、ただラブ&ピースの為にこれまで通り戦うのだと覚悟を見せる。
この辺は映画以上に、テレビ最終回での出来事が鮮烈に見せつけられるテーマでしょうかね。


「仮面ライダービルド」は、三つに分割された国がどういうカタチで一つになるべきなのかを、支配と融和の対立で描いている物語。
日本含め、世界中で人々に分断を煽る状況が見て取れる中、こういう設定の話を出してくるのは実に現代の物語だし、それは視聴者自身の物語でもあるんですよねぇ。

などということを、最終話の記事で書き忘れてたから、ここに書いとこ。

仮面ライダー 各話レビュー

『快盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー en film』

ギャングラー犯罪を暴くため、ロンドンからやって来た名探偵。
早速現れたギャングラーとの戦いの最中、ルパンレッドとパトレン1号がギャングラー世界へと飛ばされてしまう。

シャッフルコンビでワープするいつものVS映画みたいなお話ですが、そういえば間違いなくVS映画だった。

他に頼れる者もいない中、快盗と警察が一時休戦し呉越同舟する。
テレビでもですが、やはり最終的に行きつく先は快盗と警察の協力なんですね。
どちらも悪人ではないし、対立しているのだから当然融和が見たいという気持ちもありつつ、しかし、それはそれで「VS」のアイデンティティを否定する事にもなるのではと思えて…と自分の中ではまだトゥルールートが見えてこない。

とはいえこの劇場版のように、いがみ合っている両者が協力する話は鉄板でしょという安心感もあるんですよね。みんなが見たいモノだから。年間通してVSを描くトリッキーなシリーズですが、この映画一本で回収するに至っては王道のお話になるんですよね。

スーパー戦隊 各話レビュー

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『映画 ドラえもん のび太の宝島』

今年の冒険はシンプルなタイトルの通り、宝探し。
財宝目指して大海原へと繰り出したのび太達は、この時代に何故か存在する海賊たちと衝突し、世界を滅ぼしかねない策謀の渦に巻き込まれていく。

今回の劇場版、例年とはちょっと違った布陣の制作陣で固められていて、期待と同時にそこそこの不安もありましたが、お話は実に王道な冒険譚として描かれておりました。
冒険へのロマン、ミステリー、誰もが共感し得る父子のドラマ、どれを取っても教科書に載るような王道の冒険譚の組み合わせで出来上がっておりました。

いつものドラ映画フォーマットに則しつつ、しかし制作陣の変化なのか、端々の演出のそれからは若干ドラ映画っぽくない部分も見て取れたかなとも感じます。
具体的な何かではなく僅かな印象でしかないけれど、前半パートなんかはドラ映画というよりはジブリ映画みを感じさせるというか…。
ある意味では、それドラ映画でやること無いような気はしつつ、しかしジブリ映画から失われた、一般大衆が見たいであろうジブリ冒険映画的なそれが(実に曖昧な印象論)、「ドラえもん」という枠の中で息吹いているようにも感じました。
「王道冒険映画」を作るうえで、最もそれを許容出来る枠こそが「映画ドラえもん」にあったのではないか…という風にも感じる。

なので、今年の映画は例年以上に「王道」感が味わえる作りだと思います。
ただ本来の「ドラえもん」はもちょっとドライな印象の作風なので(私見)、「王道」感がある分「ドラえもん」感は抑えられたような気もするのだ。
まぁ、これはオリジナル作の場合には詮無い部分でもあるのだけど。

ドラマの主軸は父子のお話。
ゲストキャラの少年とその父親との確執から和解。
そこにのび太が自分の父との喧嘩を重ねる。
実にお手本にしたいような王道構成で、分かり易く出来ています。

普段のドラ映画との差異で言うと、ゲストキャラのドラマをきっちりと描くため、かなり回想シーンが多めに使用されていました。
正直これに関しては「多すぎでは…」という気もするのですが、その分、ドラマ面の補強に繋がっておるのです。

「ドラえもん」という作品は短編でも大長編でも、基本的に回想やイメージシーンはあまり使われておりません。物語が始まったら終わるまでは時間が一直線に進むように出来ているのが殆ど。

時系列が行ったり戻ったりするのは、幼少期の子ども向け作品においては分かり辛さの要因になりやすいのもあってか、「ドラえもん」は時系列の反転を使わずにストーリーテリング、構成されているのが殆どなのです(全てがとは言わんです)。

ドラマ重視の作品だと回想シーンはどうしても多くなりがちなのですが、はっきり言って「ドラえもん」はそこまでドラマ重視ではありませんし、どちらかというとドライな作風がベースです。
「泣かせ」のドラマだけならドラ映画でもよくありますけれど、のび太が介在しないドラマで泣かせるのは珍しい(だから回想を多用しなければならない)のです。

そのあたりでもって、今回の映画は娯楽映画として「王道」でありつつ、しかしドラ映画としては変化球の装いを味わえる作品になっているなぁと感じるわけです。

ついでに、音楽が今作では服部隆之さんというのも「なんか…絶妙に例年とはちょっと違う」感を補強しているのかもしれない。
服部さんだと知らなかったので、「なーんかゴジラ2000みたいな劇伴だなぁ…」と思いながら見てたんですよね。どおりでな…。

でもって来年は…またオリジナル?
だとしたら3作連続オリジナルになるのかしら。

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