2018年 05月 18日
本日放送は「のび太は世界にただ一匹」「地平線テープ」でした。

「のび太は~」は、絶滅危惧種への効果を疑似的に作り出す“国際動物保護スプレー”のお話。
スプレーをかければ、どんなに珍しくない動物でも絶滅危惧種の如く丁重に扱ってくれるとのこと。
のび太は不幸な境遇にいた動物を助けようとスプレーを使っていたが、自分が最も不幸ではないかと気付き、自分自身にスプレーをかける。そのおかげで世界に一匹ののび太は周囲から絶滅危惧種として丁重に扱われ始める。
原作では冒頭に紹介される動物はトキでしたっけかな。数十年の間に保護施策もかなわず実際に絶滅してしまった哀しみが溢れます。
絶滅危惧種側の視点になってみる話で、チヤホヤされつつも結局は周囲の人間の思惑に翻弄されてしまうコトが分かる。人間の都合で絶滅しかけ、人間の都合で保護されて閉じ込められる。SF短編「絶滅の島」では更に強烈にその理不尽さを描いていますねぇ。

「地平線テープ」は貼るだけで何処までも地平線が続く超空間に行ける道具。
土地を作り出す系のアイテムの一つなんですが、今になって思うとこれ、「背景描くの面倒くさい」という発想もかなりあったのではないかという風に思ったりもします。いや、この回のアシスタントさん達は大喜びでしょ…。
この原作、地平線の概念も知らない幼い頃に初めて読んだので、変な風景だなぁという印象だったのだけど、アニメで見てもやっぱり変な風景ですね。そしてアニメ美術においてもあまりにありがたい風景。直線にグラデかけるだけや…。
漫画としての実益とSFが融合する、素晴らしいアイディアじゃないか、うむ。
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2018年 05月 11日
本日放送は「ママをとりかえっこ」「ざぶとんにもたましいがある」でした。

「ママを~」は、こっぴどく叱られて家へ帰るのが嫌になった子ども達がそれぞれの親を交換してみるお話。
別の母親と接することで、母親と言う存在を客観的に判断し、また自分の事も見つめ直すことが出来る…という、なんとも教訓みの高い話です。
親の愛情という話を描く上で、変にイイ話にすると大人視点での押し付けになりやすいけれど、自分の親が変わったらどう感じるかと想像し、子ども視点で自分の結論を得られるのが良く出来ているなーと感じる。
「結局親だって人間だもんな」というのは好いセリフですよね。パパがおばあちゃんに甘える話でも、「おとなは甘える相手が居なくてかわいそうだ」と、子どもにとって絶対的な存在に映る大人を、子どもと同じ不完全な人間なのだと描いてくれている。結果共感しやすくなる。
同時に、いつも描いている価値観の変化、相手の立場で考えてみる様を見せているんだよなぁと。

「ざぶとんにも~」は、どんなモノにも魂を宿らせることが出来る“たましいステッキ”のお話。
SFなので実際の魂というよりかは、ロボット的な効果をもたらせるという解釈の方が近いのかもなぁ。
これまた、普段想像もしえないモノたちの身になって考えてみようという教訓性があったりして、実にF漫画らしい。
「せっかく魂が入ったのに戻させるか!」とモノたちから反乱が起きるのもSFの定番やなぁ…。
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2018年 04月 28日
今年の冒険はシンプルなタイトルの通り、宝探し。
財宝目指して大海原へと繰り出したのび太達は、この時代に何故か存在する海賊たちと衝突し、世界を滅ぼしかねない策謀の渦に巻き込まれていく。

今回の劇場版、例年とはちょっと違った布陣の制作陣で固められていて、期待と同時にそこそこの不安もありましたが、お話は実に王道な冒険譚として描かれておりました。
冒険へのロマン、ミステリー、誰もが共感し得る父子のドラマ、どれを取っても教科書に載るような王道の冒険譚の組み合わせで出来上がっておりました。

いつものドラ映画フォーマットに則しつつ、しかし制作陣の変化なのか、端々の演出のそれからは若干ドラ映画っぽくない部分も見て取れたかなとも感じます。
具体的な何かではなく僅かな印象でしかないけれど、前半パートなんかはドラ映画というよりはジブリ映画みを感じさせるというか…。
ある意味では、それドラ映画でやること無いような気はしつつ、しかしジブリ映画から失われた、一般大衆が見たいであろうジブリ冒険映画的なそれが(実に曖昧な印象論)、「ドラえもん」という枠の中で息吹いているようにも感じました。
「王道冒険映画」を作るうえで、最もそれを許容出来る枠こそが「映画ドラえもん」にあったのではないか…という風にも感じる。

なので、今年の映画は例年以上に「王道」感が味わえる作りだと思います。
ただ本来の「ドラえもん」はもちょっとドライな印象の作風なので(私見)、「王道」感がある分「ドラえもん」感は抑えられたような気もするのだ。
まぁ、これはオリジナル作の場合には詮無い部分でもあるのだけど。

ドラマの主軸は父子のお話。
ゲストキャラの少年とその父親との確執から和解。
そこにのび太が自分の父との喧嘩を重ねる。
実にお手本にしたいような王道構成で、分かり易く出来ています。

普段のドラ映画との差異で言うと、ゲストキャラのドラマをきっちりと描くため、かなり回想シーンが多めに使用されていました。
正直これに関しては「多すぎでは…」という気もするのですが、その分、ドラマ面の補強に繋がっておるのです。

「ドラえもん」という作品は短編でも大長編でも、基本的に回想やイメージシーンはあまり使われておりません。物語が始まったら終わるまでは時間が一直線に進むように出来ているのが殆ど。

時系列が行ったり戻ったりするのは、幼少期の子ども向け作品においては分かり辛さの要因になりやすいのもあってか、「ドラえもん」は時系列の反転を使わずにストーリーテリング、構成されているのが殆どなのです(全てがとは言わんです)。

ドラマ重視の作品だと回想シーンはどうしても多くなりがちなのですが、はっきり言って「ドラえもん」はそこまでドラマ重視ではありませんし、どちらかというとドライな作風がベースです。
「泣かせ」のドラマだけならドラ映画でもよくありますけれど、のび太が介在しないドラマで泣かせるのは珍しい(だから回想を多用しなければならない)のです。

そのあたりでもって、今回の映画は娯楽映画として「王道」でありつつ、しかしドラ映画としては変化球の装いを味わえる作品になっているなぁと感じるわけです。

ついでに、音楽が今作では服部隆之さんというのも「なんか…絶妙に例年とはちょっと違う」感を補強しているのかもしれない。
服部さんだと知らなかったので、「なーんかゴジラ2000みたいな劇伴だなぁ…」と思いながら見てたんですよね。どおりでな…。

でもって来年は…またオリジナル?
だとしたら3作連続オリジナルになるのかしら。
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2018年 04月 27日
本日放送は「うら山危険生物パーク」「はいどうたづな」でした。

「うら山~」は、本の中から本物の動物が飛び出してくる“ほんもの図鑑”から危険な動物たちが町中に放たれてしまうお話。
カバはイメージより危険な動物だとか、ラーテルは怖いもの知らずだとか、動物豆知識に溢れたお話。けものフレンズに対するドラえもん的アンサー(ぇ)。ドラえもんはどんなヒット作も内包出来るキャパがある。恐ろしいなぁ。
危険動物を回収しながらその動物の豆知識を紹介していくという事で、まさにこのお話自体が「動物図鑑」になっている。シンプルなお話ながらメタ的な構造が仕込まれているのだなぁと。
オリジナルですが、オチは原作「ほんもの図鑑」と同じ。安心感。

「はいどう~」は、自転車に乗れないのび太が馬に乗る為の練習として出してもらう道具。
この手綱を動物に着ければ、大小関係なく人間を乗せてくれるようになるとのコト。まずは野良猫、次に野良犬と試すも、すぐに振り落とされるのび太。
スネ夫たちにサイクリングを自慢され、その悔しさから乗馬しようと決意するのび太。いや、もうこの時点で色々おかしさが凄い。
そのおかしさを埋める屁理屈が、「自転車はタイヤが2本だけど、馬は足が四本だから転ばない」という、実に落語的というかのび太的な理屈で面白い。普通に話作りすれば、スネ夫が乗馬した自慢話から始まりそうなモノなのに。
こういう、始点と終点…どころか始点と中間点が既に全然違うという話は結構「ドラえもん」にも多くて、読んでいる分には意外と素直に読めるんだけど、冷静に考えるとかなりおかしい理屈だと気付かされたりする。
その辺はギャグ漫画としての面白さでもあり、ウソの上手さでもあるのかもしれぬなぁ。
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2018年 04月 21日
本日分放送は「ぶんぶくドラ釜」「一生に一度は百点を…」でした。

「ぶんぶく~」は、タイムマシンの修理中による事故で過去へやって来たドラえもんが、ぶんぶく茶釜のタヌキとなるお話。
過去へ飛ばされたドラえもんは古い茶釜にすっぽりはまってしまい、糸の上を歩けるようになる“クモノイトン”以外の道具が使えなくなってしまう。またあまりにマイナーな道具縛り。
クモノイトンによる大道芸でお金を稼ぐドラえもんはさながら「ぶんぶく茶釜」のタヌキのよう。あの有名なおとぎ話に描かれていたタヌキはドラえもんだったのだというお話。
オリジナルエピソードなのですが、ファンタジー的な原典をSF的解釈で再構築するというのはF漫画の常套手段で、これもそこにしっかり則している。
一個だけ言うとしたら、原典の「ぶんぶく茶釜」のストーリーを話の中で紹介してくれてもいいかなーというコトでしょうか。漠然とタヌキが茶釜になるというコトだけ覚えているけど、物語の流れが記憶に無くて…いや、これはボク個人の知識の問題でもあるが。

「一生に~」は、どんな問題も鉛筆が回答を勝手に書いてくれる“コンピューターペンシル”のお話。
誰もが一本は欲しいコンピューターペンシル。宿題に苦闘するのび太に手っ取り早くそれを渡すドラえもん。しかし、それをテストに使うのはカンニングと同じだぞ!と怒り心頭。
そもそも何故宿題にはOKだったのかという、その基準がどうしても気になります。ドラえもんの倫理観は難しいのだ…。
のび太は葛藤の中でコンピューターペンシルは使わない決断をする。この原作、てんコミ1巻に収録されているというコトは、先生的にも大事な話として位置づけられているのかもしれないなぁ(話選びの段階で2巻目が出るという保証もなかろうし)。
ドラえもんの謎倫理観はともかくとして、のび太を立派な大人にするという本来の目的に珍しく沿ったお話だけに(ぇ)、優先的に収録されていたとしても納得なのであると。
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2018年 04月 13日
本日放送は「動物変身ビスケット」「進化退化光線銃」でした。

「動物~」はその名の通り、食べるとそのカタチの動物に変身するビスケット。
お客さんにビスケットを食べさせてしまい、ママにばれないように何とかごまかそうと画策するのび太達。
動物になってその能力でどうこうする…ではなく、ママに怒られないように乗り切ろうというお茶の間スケールのみで展開する。
凄い道具を小さいスケールで使うというのは、とてもドラえもんらしい。動物に変身するアイテムは他にもあるけど、動物ビスケットという実在するお菓子モチーフなだけに、お茶の間スケールで繰り広げられるスラップスティックコメディとの統合性が取りやすくて、アイテムと話のスケール感が合っている。

「進化退化~」は、光線を当てるとモノや動物を進化・退化させた姿に変えることが出来る。
原作では光線銃ではなく放射線源でした。カタチはドライヤーだったけど。
ラジカセをMP3プレイヤーに進化させたり、ネズミを古代爬虫類にまで退化させたりと出来る。
原作で登場する腕時計型プレイヤー、原作読んだ際は未来感ありましたが、今となるとスマートウォッチでしかないだけに未来感が失われてしまったのではと危惧されましたが、3Dホログラムを付ける事で原作にはない未来感を付与させることが出来ました。よかった。なにせ40年以上前の原作だ…。
狙いなのかどうか分かりませんが、人がお猿になる話が連続している。
Aパートから変わって、こちらはより科学考証が明確でSFらしいお話。ネズミのご先祖はこういう生き物なのかと古代へのロマンと、学術的興味が掻き立てられるのが楽しいです。まぁ、単純に恐竜的な生き物が出るだけで楽しいという気持ちだったりもする。
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2018年 04月 06日
本日放送は「リモコンねこでとり返せ!」「フクロマンスーツ」「ツチノコみつけた!」の3本でした。

「リモコン~」は、動物にアンテナを付けてコントローラーで生体ラジコン化する“運動神経コントローラー”のお話。
動物の肉体を操作してしまう道具は他にも幾つか登場するのですが、今回のお話との差異を言うならば、この話ではちゃんと動物に対して事前交渉してラジコンになってくれることの許可を得ているコト。
倫理観が崩壊してしまっている22世紀では、動物どころか人間を自在に操作する道具すらもデパートで普通に売られていますが、その殆どは無理やり肉体の自由を奪い取るモノで、それだけにちゃんと許可を得るこの話の初見時はそこに驚いたりしました。
おそらく、本人(動物)の意思ならざる動きまでは出来ないというコトなんでしょなぁ。他の生体ラジコンよりも支配力が低いので安全なのだろうと察しがつきますが、そも、動物と事前交渉できる手段を持っていなければ使えないのでハードルは高いなぁ。
まずはネコ語の習得から。

「フクロマンスーツ」は、ほんの少しだけスーパーパワーが使える道具。
正体を隠して人を助けるヒーローに憧れ、フクロマンとなったのび太。正直見た目はダサイ。
さりてて、とにもかくにもヒーロー活動を試みようとするも、町は平和そのもの。事件事故を期待しているも、変質者と見紛われるばかり。
ヒーローになりたいばかりに悪事を期待してしまう。F漫画で自らヒーローになりたいと思っているキャラクターは大体こういうモノとして描かれてますね。その最たるは勿論ウルトラスーパーデラックスマン。逆に、全然ヒーローとかやりたくないんですけどというパーマンなんかの方がヒーローしていたりする。積極的正義心に対してはシニカルに接しているのが分かる。
ヒーローの能力を持ちながら、町の人々からは怪人物と見られてしまうフクロマン。
古今東西、ヒーローとヴィランは紙一重なものとして描かれる通り、この話もヒーローを描く王道のお話と言える。

「ツチノコ~」は、ツチノコを発見した人間として歴史に名を残すべく、ツチノコ探しを始める話。
近所にツチノコが現れるはずという歴史証言から、当初は探索行為をしていたものの、あまりに見つからない為、未来からツチノコを買ってきて現代で発見したと装うコトにしようと計画。歴史犯罪。
歴史を改変しようと試みたはずなのに、その行動まで含めて歴史通りであったというドラえもんらしいオチ。アカシックレコードはそう簡単に変わらない。
でまた、未来から持ってきたツチノコが未来で増殖しているツチノコの先祖だという…タイムパラドックスを内包しているのもドラエモンらしいSFオチで楽しいです。フニャコ先生の話でもありましたが、考えだすとショートしそうな、SFというモノに思いを馳せつつ、その矛盾のままクスクスと笑えるのが実に「ドラえもん」らしいと思う。SFとギャグと日常が全部ある。

てなワケでも3本立てでしたが、若干作画が大変そうな雰囲気もありましたね。ABCパートで作画の上中下を全部内包していたような。高木さんにリソースを取られたのかもしれないなぁ。
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2018年 03月 09日
本日放送は「ほどほど宝島」でした。

手軽に大冒険を楽しみたいという現代っ子的発想から、“ほどほど宝島”で楽しむことにする。
危険もなく、エスカレーターなどを駆使してほどほどに無人島を冒険して、あっさりと宝を手に入れる。
しかし、ほどほどのお手軽な冒険で手に入るお宝だけあって、内容もほどほど。であれば、もそっと危険な冒険であれば豪華な宝が手に入る。欲望のままに危険モードの探検に挑む一同。
劇場版に合わせての宝探しエピソード。初めからパッケージ化された冒険になっていて、今流行りの脱出ゲームみたいなモンかもしれない。実際、最後のミッションは脱出ですしね。
わちゃわちゃとして楽しむお話なのですが、とりあえず作画はえらく良い。良い動きをしまくる。
なんで竜巻や魚の作画がこんなに良いのだ…と思いつつ見てしまう。
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2018年 02月 23日
本日放送は「めいわくガリバー」「のび太のなが~い家出」でした。

「めいわく~」は、ガリバーの話に感化されたのび太が小人の住む星でヒーローになろうとするお話。
小人の為になりたいのび太ですが、やることなすこと小人にとっては迷惑でしかない。
実際に小人の国に巨人が現れたらどんなコトになるのかをシュミレーションするような話で、ウルトラマンが本当にいたらどうなるのかを考えるようでもあり、実に楽しい話です。ただ町を歩くだけでも大迷惑。怪獣でもいる時に巨大ヒーローがいるなら住民としては許容できるかもだけど、怪獣がいない時に居る巨大ヒーローはもはやそれ自体が怪獣と大差なくなる。
ガリバーモチーフの話で言うと、「小宇宙戦争」や「超兵器ガ壱號」なんかもあります。そちらが元居た世界ではさえない人間が別の星では超人として活躍するのに対し、今回のお話はページ数もあるでしょうが、ただ迷惑な存在というだけで終わる。
ガリバーやウルトラマンといった英雄譚に対し、得意の視点変化の話で切り返していて、「小宇宙」「超兵器」以上にF作品ぽさに詰まった話かもしれんなぁ。

「のび太の~」は、家出したいが夕飯までに帰宅したいのび太の目的を果たさせる一編。
10分を1時間に感じさせる“時間ナガナガ光線”でママには家出の時間を長く感じさせようという。
親の心子知らずをそのままテーマにしたような、歳を取ると親視点で見るコトになるのがよく分かるお話。
ママの親心やジャイアンとスネ夫の友情など、エモーショナルな作りでありつつ、「のび太が3時間ぶりに帰って来たんだ」というオチ台詞はちゃんと笑えるように構築されていて、SF人情喜劇とでも呼ぶべき一皿。

で、もう来週には新作映画が公開なのですね。
日曜日には「ひみつ道具博物館」、金曜日に「南極カチコチ大冒険」を放送する体制。
日曜の午前ドラマ枠もそんな風に活用できるのかという感心であります。
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2018年 02月 16日
本日放送は「ジャイアンVSメカジャイアン」「きつねにつままれた話」でした。

「ジャイアン~」は、横暴なジャイアンに対抗すべく“メカメラ”で生み出されたメカジャイアン。ジャイアンを倒せるのはジャイアンだけ!という発想のもと建造が急がれたが、その精神までもジャイアンをトレースしているメカジャイアンは人類に牙をむいたのである。そして、暴走したメカイジャイアンを止める為に本物のジャイアンをぶつけようと試みるスネ夫…。
終始、怪獣映画的なノリでバカバカしい話が繰り広げられる、とても楽しいお話。さっきまで悪役だったモノを都合よく味方に仕立て上げるみたいなトコロは、人間の傲慢さが如実に感じ取れる実に怪獣映画らしいシーンである。
ラストは互いの歌をぶつけ合わせるという、ゴジラとメカゴジラが熱線ぶつけあう例のあれっぽい戦い。その後に和解。ジャイアンとメカジャイアンのユニットが結成され、人類は終局へ向かう。
「勝った方が我々の敵になるだけです」とは「ゴジラvsビオランテ」のセリフですが、両方生き残るという最悪の展開のラストとなり、終末的な怪獣映画感があって楽しかったです。

「きつねに~」は、のび太が“具象化鏡”で色んな比喩表現・慣用句を見せつけられるお話。
時の流れ、心が暗い、狐に抓まれたような、耳が痛い、真っ赤な嘘etc...といった表現を具象化して目に見せてくれるアイテム。
この話、幼少期読んだ記憶ではちょっと重い印象とよう知らん慣用句などでピンと来ませんでしたが、今見るとそういうコトかと実感できる。やや説教臭いといえばそうなんだけど、「ドラえもん」でもたまにはこういう話を描けるんだという懐の広さも感じる。
大人になってからの方が意味が分かる、だからこそその言葉の意味が重いんだけど、最後の温かさもまた感じ取れるようになるのだと思います。正しいと思った答えがいつも違っている、そんなコトばかりだけども…。
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